(第五部:紫式部のスティックのりとドロドロの平安絵巻)
第一章:ピト・ピトの呪文
「佐藤くん! 目と耳を塞ぐな! このスティックのりが、日本文学の最高峰『源氏物語』の成立過程を根底から覆す、超一級の歴史的資料だと言っているのだ!」
第三歴史学研究室。今日の今野教授の足元は「右足がダイビング用のフィン(足ヒレ)、左足が健康サンダル」という、水陸両用の狂気を孕んだスタイルだった。ペタッ、ペタッと不気味な足音を立てながら、彼は赤いキャップのプラスチック製スティックのりを高々と掲げた。
「……教授。それ、誰がどう見ても近所の文房具屋で百二十円で売ってる『消えいろピ◯ト』ですよね。塗った時は青くて、乾くと透明になるやつ」 助手の佐藤は、完全に死んだ魚の目でツッコミを入れた。
「甘い! 佐藤くん、君は平安時代の製紙技術と、紫式部の執筆スタイルをまったく理解していない!」 今野教授はバシッと机を叩き、スティックのりのフタをポンッと開けた。 「いいか? 平安時代、紙は超高級品だった! 紫式部といえども、五十四帖にも及ぶ超大作をスラスラと清書できたわけがない! 彼女は、不要になった反故紙(ほごし)の裏側に物語の断片を書き殴り、それらを『接着』して繋ぎ合わせていたのだ!」
「はあ、百歩譲って継ぎ接ぎだとして。そのプラスチックの筒はどう説明するんですか?」
「これこそ、唐から密かに渡来した秘伝の練り薬『青色透明膠(せいしょくとうめいにかわ)』を詰めるための、竹と漆で作られた特注の筒なのだ! そして側面に書かれた『PiT』の文字! これは外来語ではない。糊が紙に張り付く音を表した平安時代の擬音語、『ピト・ピト』のローマ字表記だ!」
「平安時代にローマ字があるか! そしてなんで横文字でデザインされてるんですか! ダジャレにもなってないですよ!」
第二章:コピペ文学の誕生
「さらにだ!」 今野教授は目を血走らせ、黒板にドロドロの相関図を書き始めた。
「源氏物語の恋愛模様は、なぜあんなにも複雑でドロドロしているのか? 答えは簡単だ! 紫式部が執筆中、この『ピト・ピト糊』を使って、登場人物の名前を書いた紙切れを適当に切って貼って(カット&ペースト)して、物語をシャッフルしていたからだ!」
「……」
「つまり、光源氏が誰を愛し、誰と結ばれるかは、紫式部にも分かっていなかった! 糊の粘着力と風の向くままに生み出された、日本初の『コピペ文学』だったのだ! これぞ平安のランダム・ロマンス!」
「日本文学の最高峰に対する冒涜が過ぎますよ。国文学科の先生に聞かれたら、教授、マジで消されますよ」
第三章:平安ロマンス実証実験
「よし、佐藤くん! 学会発表に向けて、実証実験だ! 平安貴族のドロドロの恋愛絵巻がいかにして『接着』されたのか、我々の手で再現するぞ!」
一時間後。 佐藤はまたしても大学の中庭に引きずり出されていた。今回は、研究室の窓に掛かっていた「紫色の遮光カーテン」をぐるぐると巻き付けられ、ガムテープで固定されている。
「教授……なんで僕の役回りは毎回これなんですか……重いし暑いし、完全にミノムシじゃないですか……」
「文句を言うな! 君は今から、数多の女性を惹きつけてやまない絶世の美男子、光源氏だ! そして私が、嫉妬に狂って生霊となった六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)にして、巨大なスティックのりである!」
見ると、今野教授は頭に赤いバケツを被り、胴体には『ピト・ピト』とマジックで書かれた白い円柱型の段ボールを着込んでいた。右足のフィンと左足の健康サンダルが絶望的に噛み合わず、その場から一歩も動けていない。
「さあ光源氏! 貴方様の浮気心、この強粘着で私がピッタリと封じてご覧に入れますわ! そーれ、ピトピト・アタック!」 「動けてないじゃないですか! そもそも六条御息所はのり付けの妖怪じゃないでしょうが!」
中庭で、紫のカーテンに巻かれた若者に、赤いバケツを被った段ボールの教授が足ヒレでジタバタしながらにじり寄るという、平安絵巻というよりは特撮の怪人バトルにしか見えない光景が展開されていた。 通りすがりの学生たちは、もはや一周回って面白がって遠巻きに写真を撮り始めている。
第四章:エリートの品質管理
「……君たち。日本の古典文学の前に、自分たちの知性の接着力が剥がれ落ちていることに気づかないのかな?」
その時、絶対零度の声が響いた。
ピタリと動きを止めた二人の視線の先には、イタリア製スーツを完璧に着こなしたエリート、西園寺教授が立っていた。彼は「ふっ」と冷笑を浮かべながら、今野教授の手に握られていた『紫式部のスティックのり』をスッと抜き取った。
「おお、西園寺くん! 見たまえ、平安コピペ文学の実証実験だ! 私は源氏物語のドロドロの真実に……!」
西園寺教授は、無言でスティックのりの底面を指差した。
「……今野くん。君の言う『竹と漆で作られた特注の筒』だがね。ここに極めて現代的で、安心安全なマークが刻印されているよ」
「な、なんだと? まさか、藤原道長が認可した最高級品の証……!」
西園寺教授は、冷酷な笑みを浮かべて宣告した。
「『JISマーク(日本工業規格)』と『プラ』のリサイクルマークだ」
中庭に、平安京の雅な空気を一瞬で吹き飛ばす、残酷な現実の風が吹き抜けた。 紫式部は、産業標準化法に基づいて品質管理された環境に優しい文房具で、源氏物語を執筆していたらしい。
「……そもそも、のりの側面に『※幼児の手の届かないところに保管してください』と注意書きがある。君は実証実験の前に、もう一度幼稚園に入り直した方がいい」 西園寺教授はスティックのりをヒラヒラと今野教授の赤いバケツの中に放り込み、優雅な足取りで去っていった。
結末:歴史はシェイクされる
夕暮れの第三歴史学研究室。 遮光カーテンを剥ぎ取られた佐藤は、無言で魚肉ソーセージのフィルムを剥がしていた。
部屋の隅では、段ボールを着たままの今野教授が、赤いバケツの中でうずくまっている。
「……なぜだ。私の歴史的直感は完璧だったはずなのに。紫式部が手がベタベタになって怒っている姿が見えたというのに……」
佐藤は魚肉ソーセージをかじりながらため息をついた。 「だから言ったじゃないですか。タダでもらったガラクタで平安時代がひっくり返るわけないんです。もう諦めて、明日の『戦国大名の領国支配』のまともな講義準備をしてください」
「……」 無言のまま、バケツを取った今野教授がのそりと立ち上がった。 その目は、なぜか再びギラギラと、不屈の闘志を取り戻している。
「……佐藤くん。実はね、昨日ネットオークションで、どうしても落札しなければならない『本物』を見つけてしまったんだ。送料込みで二千円だった」
「……また上がった。で、今度は何ですか」
今野教授は、机の引き出しから、プラスチック製の蛍光グリーンの奇妙なボトルを取り出した。中には銀色のボールが入っている。
「見たまえ! これこそ真の世紀の大発見だ! 『千利休が愛用していた、戦国時代のプロテインシェイカー』だ!」
「……」 佐藤は魚肉ソーセージを落としそうになった。
「ほら、見てみろ! この中に抹茶と大豆の粉を入れ、激しくシェイクして泡立てていたのだ! 利休の『侘び寂び』とは、限界まで筋肉を追い込んだ後のパンプアップの境地だったのだ! これぞ戦国マッスル茶の湯……!」
「教授」
佐藤は静かに立ち上がり、電話の受話器を取った。
「今すぐ救急車を呼びます」
懲りないマッスル三流学者と、プロテインより胃薬を欲している助手の果てしない歴史探求は、明日も、力強く続いていくのである。

