今野教授の生活-6

(第六部:千利休のマッスル茶の湯と詫び寂びのパンプアップ)

第一章:プロテインと茶の湯の密月

「佐藤くん! 救急車を呼ぶ前に、この蛍光グリーンのボトルの歴史的価値を刮目(かつもく)して見たまえ!」

第三歴史学研究室。今日の今野教授の足元は「右足が登山靴、左足が足ツボマッサージ用スリッパ」という、一歩歩くごとに健康と苦痛が交差するスタイルだった。
彼はネットオークションで二千円で落札したという、派手な緑色のプラスチック製プロテインシェイカーを高く掲げている。
中には粉を混ぜるための銀色のバネ(ブレンダーボール)がカチャカチャと音を立てていた。

「……教授。それ、筋トレしてる人がスポーツジムでシャカシャカ振ってる、ごく一般的なプロテインシェイカーですよね。ロゴのところにうっすら『マッスル・マックス』って書いてありますよ」
助手の佐藤は、完全に無の境地に至った顔でツッコミを入れた。

「甘い! 佐藤くん、君は戦国時代の茶の湯の真髄と、千利休のストイックさをまったく理解していない!」
今野教授はバシッと机を叩き、シェイカーのフタをパカッと開けた。
「いいか? 千利休が完成させた『侘び寂び(わびさび)』。あれは精神修養だけではない! 極限まで筋肉を追い込み、肉体の限界(侘び)を知り、己の弱さを削ぎ落とす(寂び)という、究極のボディビルディング思想だったのだ!」

「歴史上の大茶人を勝手にボディビルダーにしないでください。大体、お茶と筋肉になんの関係があるんですか」

「大ありだ! 抹茶にはカフェインとテアニンが含まれ、筋トレ前のプレワークアウト飲料として最適! さらに利休は、大豆の粉(ソイプロテイン)をブレンドし、この『蛍光緑色の特製茶器』で激しくシェイクしていたのだ! 蛍光緑色は、自然との調和を愛する利休の『究極の緑』の表現に他ならない!」

「ただのプラスチックの着色料ですよ! 中に入ってる銀色のバネはどう説明するんですか!」

「これこそ、南蛮貿易で密かに輸入された『超高速泡立て鉄球(ハイスピード・チャセン)』だ! これを使えば、茶筅(ちゃせん)で点てるよりも百倍早く、きめ細やかなマッスル泡が完成するのだ!」

第二章:にじり口の真実

「さらにだ!」 今野教授は得意げに黒板の前に立ち、チョークを握った。

「茶室の入り口である『にじり口』。あれはなぜ、あんなにも狭く作られているのか? 刀を外させるため? 違う! 身分を平等にするため? 違う!」

「……もう嫌な予感しかしませんけど、一応聞きます。なんでですか?」

「『広背筋(こうはいきん)が肥大化しすぎたマッチョをふるいにかけるため』だ!」
教授はチョークを叩きつけた。
「豊臣秀吉の黄金の茶室は、実は金ピカのパーソナルジムだった! しかし、利休の教えは『細マッチョ』至上主義! ゴリゴリのゴリマッチョになってしまった武将たちは、あのにじり口を通れず、茶会(合同トレーニング)から締め出されたのだ! これぞ利休のマッスル・コントロール!」

「茶道界から命狙われますよ、マジで。教授の頭の中の戦国時代、プロテインの粉舞いすぎじゃないですか?」

第三章:マッスル茶会・実証実験

「よし、佐藤くん! 学会発表に向けて、実証実験だ! 侘び寂びのパンプアップがいかにして戦国武将たちを魅了したのか、我々の手で再現するぞ!」

一時間後。 佐藤はまたしても大学の中庭に引きずり出されていた。今回は、なぜか上半身裸にされ、腰に「金色のレスキューシート(防寒用のアルミシート)」をふんどしのように巻かれている。

「教授……なんで二月の寒空の下で、僕が半裸なんですか……しかも腰に巻いてるの、防災グッズじゃないですか……」 「文句を言うな! 君は今から、黄金の茶室でパンプアップに励む豊臣秀吉だ! そして私が、茶の湯のカリスマ・パーソナルトレーナー、千利休である!」

見ると、今野教授は黒いゴミ袋を法衣のように被り、手にはあの蛍光グリーンのプロテインシェイカー(中には抹茶と片栗粉と水がなみなみと入っている)を握りしめていた。
左足の足ツボマッサージスリッパのせいで、立っているだけで「痛ぁい!」と時折呻いている。

「さあ秀吉様! その大胸筋は天下人! 腹筋は難攻不落の大坂城! そーれ、スクワットしながら茶を点てよ! シャカシャカシャカ!」
「寒い! 恥ずかしい! そして片栗粉が入ってるせいで全然混ざらない!」

中庭で、半裸に金色のシートを巻いた若者が震えながらスクワットをし、黒いゴミ袋を着た教授が「ナイス・マッスル・侘び寂び!」と叫びながらシェイカーを振るという、大学の品位を著しく貶める地獄の茶会が開催されていた。
通りすがりの学生たちは、もはやスマホを向けることすら躊躇し、目を伏せて小走りで逃げていく。

第四章:エリートの栄養指導

「……君たち。戦国の世を語る前に、現代の公然わいせつ罪について学んだ方がいいんじゃないかな?」

その時、北風よりも冷たい声が響いた。 ピタリと動きを止めた二人の視線の先には、イタリア製スーツを完璧に着こなしたエリート、西園寺教授が立っていた。彼は「ふっ」とため息をつきながら、今野教授の手から『利休のプロテインシェイカー』をスッと抜き取った。

「おお、西園寺くん! 見たまえ、戦国マッスル茶の湯の実証実験だ! 私は千利休の隠された大胸筋の秘密に……!」

西園寺教授は、無言でシェイカーの側面を指差した。

「……今野くん。君の言う『蛍光緑色の特製茶器』だがね。ここに、茶の湯とは無縁の目盛りが刻まれているよ」

「な、なんだと? まさか、一日何合のお茶を飲めば筋肉がつくかという、利休の極秘の黄金比……!」

西園寺教授は、冷酷な笑みを浮かべて宣告した。

「『オンス(oz)』と『ミリリットル(ml)』だ。ご丁寧に『BPA FREE(環境ホルモン不使用)とも書いてある」

中庭に、千利休も凍りつくような極寒の沈黙が降り注いだ。
戦国時代の茶人は、アメリカ式のヤード・ポンド法とメートル法を完璧に使いこなし、プラスチックの健康被害にまで配慮していたらしい。

「……そもそも、フタの裏に『食洗機対応』のマークがある。君は実証実験の前に、脳内の食洗機でそのふざけた妄想を洗い流してきた方がいい」 西園寺教授はシェイカーをヒラヒラと今野教授のゴミ袋の中に放り込み、優雅な足取りで去っていった。

結末:歴史はタッパーに保存される

夕暮れの第三歴史学研究室。 レスキューシートを剥ぎ取って服を着た佐藤は、無言でスーパーの割引プロテインバーをかじっていた。

部屋の隅では、ゴミ袋を着たままの今野教授が、床に正座して燃え尽きた灰のようになっている。 「……なぜだ。私の歴史的直感は完璧だったはずなのに。千利休がベンチプレスを上げている姿が、はっきりと見えたというのに……」

佐藤はプロテインバーを飲み込み、熱いお茶をすすった。
「だから言ったじゃないですか。二千円のプラスチックで歴史の教科書は書き換わらないんです。もう諦めて、明日の『江戸幕府の鎖国政策』のまともな講義準備をしてください」

「……」 無言のまま、ゴミ袋を脱ぎ捨てた今野教授がのそりと立ち上がった。 その目は、なぜか再びギラギラと、果てしない歴史への欲望を取り戻している。

「……佐藤くん。実はね、昨日、リサイクルショップのジャンクコーナーで、とんでもない『神器』を発見してしまったんだ。百円玉一枚でね」
「……嫌な予感しかしないんですけど。次は何ですか」

今野教授は、ホコリを被った紙袋から、半透明の四角いプラスチック容器を取り出した。青いフタがしっかりと閉まっている。

「見たまえ! これこそ真の世紀の大発見だ! 『邪馬台国の女王・卑弥呼が、神のお告げを密閉保存していた古代のタッパー』だ!」

「……」 佐藤は手元のプロテインバーの包み紙をギュッと握りつぶした。

「ほら、見てみろ! この密閉力! 卑弥呼は鬼道(きどう)で集めた霊力を、この四角い容器に閉じ込め、鮮度を保っていたのだ! これぞ邪馬台国のオーパーツ、マジック・タッパーウェア……!」

「教授」 佐藤は静かに立ち上がり、言った。
「とりあえず、そのタッパーに教授のガラクタを、永遠に密閉保存させてもらえませんか?」

懲りない三流学者と、精神的限界を突破した助手の果てしない歴史探求は、明日も、絶望的なまでに続いていくのである。