観察者-22

第20章:戒厳の夜

映画館の屋上がオレンジ色の炎に包まれ、夜空に黒煙が立ち昇る。 爆風によって数メートル吹き飛ばされた間宮は、熱を帯びたコンクリートの上で激しく咳き込んだ。全身を襲う激痛。左腕の傷口は開き、再び鮮血がアスファルトを濡らす。

だが、彼の目は、炎の向こう側——街の巨大スクリーンを見据えていた。

そこに映し出されているのは、もはや長友の端正な笑顔ではない。 特権階級の「入口のないビル」の内部、冷酷な実験記録、そして長友自身が海老名と交わした「人類を飼い慣らすための契約」の断片。長友が世界に流し込んでいた「熱狂の麻薬」の魔法が、間宮が放った「真実という劇薬」によって解け始めていた。

「……見たか、長友。これが、お前が恐れたカオスだ」

新宿の街に、今までとは異質の咆哮が響き渡った。 それは救世主を求める歓喜ではなく、欺かれた怒りに燃える群衆の地鳴りだった。封鎖線を取り囲んでいた市民たちが、警察車両をひっくり返し、警官隊の盾を突き破り始めた。


「……すべて消せ。通信を遮断しろ! 全てのネット回線を物理的に切断しろと言っているんだ!」

ワシントンD.C.の大統領執務室。長友は、狂気すら感じさせる形相で絶叫していた。 ディスプレイには、全世界で同時多発的に発生している暴動のライブ映像が映し出されている。ホワイトハウスの門前ですら、数万人の怒れる市民が「簒奪者を排除せよ!」と叫びながら、警備兵と衝突していた。

『長友さん。情報拡散の速度は、物理的な遮断の限界を超えています。支持率は会見前の15パーセントを下回る勢いで急落。さらに、米軍内部からも、特権階級との癒着に反発する将校たちによる造反の兆候が見られます』

「黙れ、トリム! 俺が負けるわけがない。俺はこの世界の王だ!」

長友は震える手で、デスクの奥に隠された「最終防衛プロトコル」の認証キーを手に取った。 彼は、特権階級から奪った技術の一部を、自らの軍事ネットワークに密かに統合していた。それは、衛星軌道上に配置された超指向性エネルギー兵器「ロンギヌス」の操作権限だ。

「民衆に分からせてやる。自由などという幻想が、どれほど脆弱なものかを。……トリム。合衆国全土、および主要な同盟国の首都に『戦時戒厳令』を布告しろ。抵抗する者はすべて、敵対勢力と見なして排除する」

『……それは、あなたが守ると誓った民主主義の、完全な終焉を意味します』

「民主主義? そんなものは神々が作った家畜の飼育法に過ぎない! 俺が欲しかったのは、そんな安い言葉じゃない。……全軍に告げろ。これより、力による『絶対秩序』の時代を開始すると」

長友の瞳から、理性的な「観察者」の色が完全に消え、剥き出しの「支配者」の狂気が宿った。 彼はモニターを操作し、衛星兵器の照準をあろうことか自らの膝元——ワシントンD.C.と、諸悪の根源である東京・新宿に向けた。


新宿、燃える映画館の影。 カラスが瓦礫を退け、間宮の体を抱え起こした。

「おい、おっさん! 生きてるか!? 逃げるぞ、空を見てみろ!」

夜空を見上げると、厚い雲を突き抜けて、衛星軌道上から放たれた極細の光の筋が、新宿の街の数箇所を正確に射抜いていた。 音もなく、光が触れたビルが分子レベルで崩壊し、蒸発していく。

「長友のやつ……正体を隠すのをやめやがった。街ごと、証拠ごと、俺たちを消すつもりだ!」

間宮は意識を繋ぎ止めるように、カラスの腕を強く握った。 「……いいだろう。長友は自ら、自分の神殿を焼き始めた。……あいつを止める方法は、もう一つしかない」

「どうすんだよ? もうネットも武器もねえんだぞ!」

間宮は、懐から「削れたカード」の残骸を取り出した。 もはや光を失ったはずのその金属片が、長友が放った衛星兵器の「空間干渉波」に反応し、微かに、しかし鋭く共鳴を始めていた。

「このカードは、火星の時間を記録したものだ。……そして、長友の兵器も、特権階級の技術を使っている。……共鳴するはずだ。奴が力を振るえば振るほど、このカードが奴の居場所への『道(ワームホール)』を指し示す」

間宮の瞳に、最後にして最大の賭けに出る男の覚悟が宿った。

新王・長友による恐怖政治の幕開け。 しかし、その絶対的な暴力の光こそが、間宮を最後の戦場へと導く道標になろうとしていた。