第3章:五芒星(ペンタグラム)の遊戯
東京の灰色のビル、その地下深くに広がる無機質で広大な空間。 空間の中央で脈打つ巨大な青白い水晶体——「計時装置」が放つ冷たい光の中、空間が陽炎のように五ヶ所、同時に歪んだ。
「ようこそお越しくださいました。最高幹部の皆様」
純白のスーツに身を包んだ事務官の海老名が、恭しく頭を下げる。 空間の歪み(ワームホール)から、音もなく五人の男女が顕現した。彼らこそが、数百年の寿命を持ち、地球を五つのブロックに分割して支配する特権階級の頂点、「ペンタグラム(五芒星)」の幹部たちであった。
彼らの外見年齢はまちまちだが、一様に「人間の持つ生活感」が完全に欠落していた。細胞の老化を克服した彼らの肌には、一つのシミもシワもない。
「相変わらず、陰気な地下室ね。海老名」
豪奢な真紅のドレスを纏った女が、退屈そうにため息をついた。南米・オセアニアブロックを担当する彼女は、生態系とウイルスの変異を操り、人類の人口を『間引き』する役割を担っている。
「陰気なのはお互い様だろう。君の蒔いた新種のウイルスのせいで、私のブロックの労働力が数パーセント目減りした」
冷徹な軍服風のコートを着たユーラシア担当の男が、不快げに吐き捨てた。彼は絶対的な秩序と統制を好み、独裁政権の樹立と崩壊をチェスの駒のように操っている。
「まあまあ、仲良くやろうじゃないか。世界はゲームボードだ。少しばかり不確実なスパイスがあった方が面白い」
そう言って軽薄に笑ったのは、仕立ての良いスーツを着崩した北米担当の男だった。彼は世界最大の資本とメディアを握り、大衆の欲望とパニックをコントロールすることに無上の喜びを感じている。
「お前の言う『スパイス』のせいで、尻拭いをさせられるのはこちらだ」 サイバネティクス技術を思わせる銀色の装飾を施したアジア担当の幹部が、北米担当を冷ややかに睨んだ。 「私がアジア圏の量子コンピューティング技術を数十年分『早回し』しただけで、お前は慌てて北米の金融市場を意図的にクラッシュさせた。おかげで、計時装置の同期アルゴリズムに無駄な負荷がかかったぞ」
「急激な技術の進化は、サルどもに過剰な万能感を与えるからな。適度に絶望させて、自分たちが無力だと分からせる必要があったのさ」
北米担当が肩をすくめると、黄金の装飾品をジャラジャラと鳴らしながら、中東・アフリカ担当の巨漢が豪快に笑った。彼は化石燃料とレアメタルの供給量を絞り、定期的に局地戦を起こすことで世界のエネルギーバランスを操作している。
彼らにとって、数百万人の失業や国家の崩壊は、夕食のテーブルでの他愛のない世間話にすぎない。海老名は内心の苛立ちを隠しながら、冷たく澄んだ声で報告を始めた。
「幹部の皆様、本日の議題ですが……先ほどの北米とアジアの『相殺処理』の際、下界のサルが一匹、我々の同期信号の隙間からこのネットワークを覗き込みました」
その言葉に、五人の幹部の動きがピタリと止まった。
「始末したのか?」とユーラシア担当が冷酷に問う。
「いえ」海老名は薄く笑った。「そのサルは、自らの頭脳を我々の『手駒』として差し出すと命乞いをしました。巨大国の選挙コンサルタント兼データアナリスト。名前は、長友といいます」
「ほう?」 北米担当の男が、興味深そうに目を細めた。 「世界の裏側の糸(コード)に自力で気づいたサルか。面白い。今のホワイトハウスに座らせている私の操り人形は、どうにも老いぼれて頭が鈍くなってきたところだ。次の大統領選挙、その『長友』という若造を盤上に立たせてみようじゃないか。どれだけ踊れるか、見物だ」
「遊びが過ぎるぞ、北米。サルに力を持たせれば、いつか噛みつかれる」 ユーラシア担当が警告したが、北米担当は聞く耳を持たなかった。
「噛みつけるものなら、噛みついてみせろというのさ。我々には永遠の時間がある。退屈しのぎにはちょうどいい」
その日の深夜。 長友のペントハウスの窓ガラスに、音もなく「歪み」が生じた。
セキュリティシステムがいっさい反応しないまま、月光を背にして、純白のスーツを着た海老名が室内に降り立った。ホログラムではない。本物の肉体が、ワームホールを通って物理的に転送されてきたのだ。
「……随分と派手な玄関からの登場だな」
長友はソファから立ち上がり、手元のグラスを置いた。冷や汗をかきながらも、その視線は決して海老名から逸らさない。
「迎えに来たと言ったはずだ、長友君」 海老名は、まるで自分の部屋のようにペントハウスを歩き回り、東京の夜景を見下ろした。 「君の傲慢な提案を、我々の幹部が受け入れた。北米ブロックの担当幹部が、君の頭脳を高く評価してね。君を、次の大統領選挙の勝者にしてやろうと言うのだ」
「大統領……」 長友の目が、野心にギラリと光った。世界最大の軍事と経済を握る超大国のトップ。それは、彼が自力で何十年かけても辿り着けるかどうかの頂点だ。
「ただし、君はあくまで我々『ペンタグラム』の意向を体現するプロキシ(代理人)に過ぎない。我々が『右を向け』とコードを書き換えれば、君は政策として右を向く。我々が『株価を落とせ』と命じれば、君は意図的な失言をする。完璧な操り人形として、我々の退屈を紛らわせてくれ」
海老名が指を鳴らすと、長友のペントハウスの重力が一瞬にして狂った。 テーブルの上のグラスが天井に向かって落下して砕け散り、長友自身も体がふわりと宙に浮き上がり、見えない巨大な手に首を絞め上げられた。
「グッ……!」 「勘違いするなよ、長友君。君は選ばれたのではない。飼われたのだ。我々の圧倒的な科学と時間の前では、君の知能などミジンコの計算能力に等しい」
再び指が鳴らされると、重力が元に戻り、長友は床に叩きつけられた。 激しく咳き込みながら、長友は床に這いつくばったまま、口の端を歪めて笑った。
「……いいだろう。その首輪、喜んで嵌めてやる」
下を向いた長友の瞳には、決して屈服しない暗い炎が宿っていた。 彼ら特権階級の恐るべき力は理解した。だが、システムが存在する以上、必ずバグは存在する。大統領という世界最強のリソースを手に入れれば、必ずこの神々を引きずり下ろすことができる。
「賢明な判断だ。では、選挙戦の台本(アルゴリズム)を渡そう。明日から、君の新しい人生が始まる」
海老名は冷たく言い放つと、再び空間の歪みの中へと姿を消した。
同じ頃、灰色のビルの地下。 間宮は、冷たいコンクリートの階段を一段、また一段と降りていた。
外の酷暑が嘘のように、空気はひんやりと澄み切っている。どこからか、微かなオゾンの匂いと、乾いた土の匂いが混ざり合って漂ってきた。
「……トン、トン、トン……」
階段の奥深くから、一定のリズムで重低音が響いてくる。毎秒100サイクル。人間の心臓の鼓動よりもずっと早く、正確なその振動は、間宮の足裏から骨伝導で全身へと伝わってきた。
その振動を感じるたび、間宮の脳裏に、赤茶けた荒野と、一切の風が吹かない死に絶えた星の風景がフラッシュバックする。
(なんだ……この記憶は。俺は、かつてこれと同じ音を、どこかで聞いていた……?)
ポケットの中の「削れたカード」を強く握りしめる。 暗闇の先に、ぼんやりと青白い光が漏れ出ているのが見えた。間宮は、自らの失われた過去と、世界を縛り付ける鎖の正体が待つその光へと、静かに歩みを進めた。

