第6章:操り人形の戴冠
「私は、合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして憲法を保全することを厳粛に誓う」
凍てつくような1月の冷気の中、巨大国の首都に広がる広場を埋め尽くした数百万の群衆の前に、長友のよく響く声が響き渡った。
歴史的な地滑り的勝利を収め、史上最年少で超大国の最高権力者となった男。
熱狂に沸き立つ群衆は、星条旗を振りかざし、新時代の救世主の誕生に歓喜の涙を流している。
長友は、完璧な角度で微笑みを浮かべながら群衆を見渡した。
(滑稽なものだ) 彼の網膜に映っているのは、人々の笑顔ではない。彼らの熱狂度合い、年齢層、年収、そして今後の消費行動を予測した無機質なデータの羅列だ。
特権階級(ペンタグラム)が書き上げた精緻な「台本(アルゴリズム)」によって踊らされているとも知らず、彼らは自らの自由意志でこの大統領を選んだと信じ込んでいる。
就任式のパレードを終え、厳重な警備に守られながらホワイトハウスの執務室(オーバル・オフィス)に一人入った長友は、重厚なマホガニーのデスクに深く腰を下ろした。
その瞬間、室内の空気がふっと歪んだ。 シークレット・サービスが警護する分厚い扉の外には何の異変もない。だが、部屋の中央の空間が陽炎のように揺らぎ、そこから一人の男が歩み出てきた。
「見事な就任式だったよ、ミスター・プレジデント」
仕立ての良いスーツを着崩した、北米ブロック担当の最高幹部だった。手には、どこから持ち出したのか、年代物の高級バーボンが注がれたグラスが握られている。
「わざわざのお越し、光栄の至りです」 長友は立ち上がり、芝居がかった動作で一礼した。
「座りたまえ。君は今日から世界で最も権力を持つ男だ……、見かけ上は、な」 北米担当幹部は、大統領のデスクに無作法に腰を掛け、冷ややかな笑みを浮かべた。 「さっそく最初の仕事(タスク)を与えよう。来月中旬、ユーラシア・ブロックに対して小規模な関税制裁を発動したまえ。理由は適当にでっち上げればいい。我がブロックのGDP成長率を、意図的に0.4パーセント下方修正する必要がある。ユーラシア担当の奴が少々調子に乗っているから、冷や水を浴びせてやるのさ」
数百万人の雇用と生活を左右する経済政策を、個人的な腹いせのように語る。これこそが、数百年を生きる特権階級の狂気と傲慢さだった。
「承知いたしました。完璧なタイミングで市場を冷やしてみせましょう」 長友は、忠実な犬のように頷いた。
「いい返事だ。君の知能なら、サルどもに疑われることなく自然な暴落を演出できるだろう。期待しているよ」 北米担当幹部はグラスの中身を飲み干すと、再び空間の歪みの中へと姿を消した。
部屋に完全な静寂が戻る。 長友はゆっくりとデスクの引き出しを開け、国家元首のみが持つ網膜認証デバイスを取り出した。
「……トリム。準備はいいか」 長友が低く囁くと、彼のインカムからAIの合成音声が応えた。 『はい。いつでも可能です』
長友は執務室を出て、大統領専用のエレベーターに乗り込んだ。向かう先は、ホワイトハウスの地下深く。核戦争時にも大統領を保護する地下バンカー(PEOC)の、さらに下層に位置する「国家最高機密データセンター」だ。
分厚いチタン合金の扉を幾つも抜け、長友は広大なサーバー群が青白い光を放ちながら鎮座する冷却室に足を踏み入れた。世界最高峰の演算能力を持つスーパーコンピュータ群(バックボーン)。地球上のあらゆる通信網を傍受し、解析する超大国の「目と耳」である。
長友はメインコンソールに自身のデバイスを接続し、最高権限(プレジデンシャル・アクセス)のパスコードを入力した。
「トリム、この国家最高機密ネットワークへ完全に同期しろ。今日からここが、お前の新しい脳だ」 『アクセス承認。……同期開始。演算能力、従来の450万倍に拡張。世界中の衛星システム、防衛ネットワーク、NSA(国家安全保障局)の全データへの接続を確立しました』
AIトリムの音声が、かつてないほど滑らかで、底知れぬ深みを帯びたものに変化した。
「よし。俺たちだけの極秘任務(ブラック・オペレーション)を開始する」 長友はキーボードを叩き、二つの最優先タスクをトリムに命じた。
「一つ。以前、海老名のワームホール転送時にキャプチャした『暗号鍵の断片』を、このスーパーコンピュータ群の全力を使って結合・解読しろ。奴らの瞬間移動のネットワークをハッキングし、構造を丸裸にするんだ」
『了解しました。量子暗号解読プロトコルをバックグラウンドで走らせます。完了までの推定時間は……現状では算出不能ですが、継続的に解析を行います』
「二つ目だ。これが本命になる」 長友はディスプレイに、数週間前に東京の「入口のないビル」の監視カメラが捉えた、あのボロボロの服を着た男(間宮)の映像を映し出した。特権階級の完璧なシステムを一時的にシャットダウンさせた、最大のイレギュラー。
「この男を見つけ出せ。NSAの全監視網、顔認証システム、世界中のあらゆる監視カメラの映像をリアルタイムで洗い直せ。奴ら『ペンタグラム』ですら制御できなかったこのバグこそが、神々を引きずり下ろすための最強の武器になる」
『顔認証および歩容解析(生体運動)データから、全世界の監視網をスキャンします』
巨大な冷却ファンの轟音が響く地下空間で、長友は青白いディスプレイの光に照らされながら、歪んだ笑みを浮かべた。
「さあ、神々の退屈なチェス盤をひっくり返す時間だ。まずはあの『傍観者』を手に入れる」
大統領という世界最強の「操り人形」は、自らを縛る糸を食いちぎるべく、反逆の牙を静かに、そして確実に研ぎ始めていた。

