蛇口のヒント
休憩所への廊下を歩きながら、達也の頭の中では、時計が逆回転するカチカチという音と、店主の最後の叫びが木霊していた。
「蛇口の、水の流れを、見よ……!」
達也は、未来の記憶を持つ自分を、時計が執拗に過去の原点へ戻す理由を考えた。一つは、達也がキーの存在と鍵穴の場所を指摘し、秘密に近づきすぎたこと。もう一つは、達也が時計を乱暴に扱ったこと、つまり椅子の衝突が引き金になった可能性だ。
いずれにせよ、時計は達也に秘密を解く資格がないと判断し、強制的に時間をリセットしたのだ。
コーヒーメーカーの前で、達也は大山に前々回と同じように骨董屋の話をした。今回は、前回よりも話を短く切り上げ、水のトリックの仕組みを詳しく説明することに集中した。
「つまり、蛇口はパイプに支えられていて、水はそのパイプの中を登って、外側を流れる。水の流れでパイプが見えなくなる、ってことか」大山は熱心に聞いていた。
「そうだ。物理的にあり得ない現象は、実は目の錯覚と巧妙な仕掛けで成り立っている」達也は、このトリックに、時計の秘密を解くヒントがあると確信していた。
昼休みが終わり、周囲のキーボードの音がざわめきだす中、達也は席に戻った。午後の仕事は手につかない。
達也はパソコンで「水の流れ 錯覚」というキーワードで検索をかけた。すぐに、あの蛇口の仕掛けが、現代アートやマジックで使われる「テセレーション(錯視)」の一種であることを知る。
そして、ある記事に目が留まった。それは、中世の錬金術師たちが用いたとされる「水の時間」についての記述だった。
「時間とは、常に循環し、流れ続けるものである。水が上から下に落ちるのではなく、下から上に汲み上げられ、再び循環するならば、その流れは『過去への流れ』を示す逆流の象徴となる……」
達也の胸に閃光が走った。
あの蛇口の仕掛けは、ただのトリックではない。時計の原理そのものを暗示しているのだ。
- 水がパイプを上がる(逆流): 時間が逆行する。
- 水が循環する: 時間がループしている。
- 水の流れがパイプを隠す: 真の仕組み(時計の部品)が、日常の流れ(空っぽの木箱)によって隠されている。
つまり、水の流れを「止めろ」ではなく、「よく見ろ」という店主の言葉は、この仕掛けの背後にある真の原理に気づけ、というヒントだったのだ。
達也は、キーと鍵穴を探すのではなく、時計を止めるのではなく、循環しているこの状況を打ち破るための、別の鍵を探さなければならない。