第2部:操り人形の王
第11章:傲慢なる神々の誤算
けたたましい警報音が鳴り響く東京の地下深層。 青白い光を放つ計時装置の前に立つ海老名は、空中に展開された五つのホログラム通信パネルに向かって絶叫していた。
「幹部の皆様! 異常事態です! かつて火星を担当していた第6の幹部、間宮が当拠点に侵入しました! 至急、ワームホールでの帰還と物理的な防衛支援を要請します!」
しかし、パネルの向こう側に映る五人の最高幹部(ペンタグラム)たちの反応は、海老名の切迫した様子とは対照的に、酷く冷ややかで退屈そうなものだった。
『騒々しいわね、海老名。私のブロックは今、深夜の優雅なオペラの最中なのよ』 南米・オセアニア担当の女が、真紅の扇子で口元を隠しながら不快げに顔をしかめる。
『火星の亡霊だと? 莫迦莫迦しい』 ユーラシア担当の男が、鼻で笑った。 『数千年前に自らの理想主義で星を滅ぼし、発狂して逃げ出した敗北者ではないか。劣化した肉体でノコノコと地球に現れたところで、何ができるというのだ』
「聞いてください! 奴は火星の『完全に停止した時間のデータ』を物理キーとして所持しています! あれを計時装置に接触させられれば、我々の絶対時間が崩壊し——」
『大袈裟だな、海老名』 北米担当の幹部が、葉巻の煙を吐き出しながら口を挟んだ。 『仮にそれが本物だとしても、あの灰色のビルには我々が数百年かけて構築した内部防衛機構(イージス)があるだろう。なぜそれを使わない? まさか、たった一人の旧世代の亡霊のために、我々五人に永遠の命を危険に晒してまで直接出向けと言うのか?』
特権階級の絶対的な弱点。それは、長すぎる寿命と権力を持ちすぎたがゆえの「死への極端な恐怖」と「過剰なまでの傲慢さ」だった。 彼らは安全な自分のブロックの玉座から一歩も動こうとせず、現場の海老名に全ての処理を押し付けようとしていた。
「イージスの制御にバグが生じているのです! 外部から未知のサイバー攻撃によるジャミングの干渉があります!」
『言い訳はいい。我々の同期アルゴリズムは完璧だ。システムを再起動し、侵入者を物理的に排除しろ。次に通信を開く時は、その火星の亡霊のを排除した映像を見せたまえ』
プツン、プツンと、無情にも五つのホログラム通信が次々と切断されていく。 静寂と警報音だけが残された地下広間で、海老名はギリッと奥歯を噛み締めた。
「……あの老害どもめ。自分たちの足元に火が点いていることすら理解していないのか」
海老名は血走った目でメインコンソールに向かい、特権階級のネットワークから完全に独立して稼働する、物理的かつ旧式な拠点防衛ゴーレム群の起動シークエンスを叩き込んだ。
『長友さん。ペンタグラムの幹部たちは、東京のマスターノードへのワームホール移動を行いませんでした』
ワシントンD.C.の地下室。 トリムの報告を聞いた長友は、呆れたように、そして楽しげに笑い声を上げた。
「ハッ、臆病な神々め。自分の不死の肉体に傷がつくのを恐れて、玉座から腰を上げなかったか。……あの『傍観者』が、自分たちの心臓にナイフを突き立てようとしているというのにな」
長友の目論見では、間宮の侵入によってパニックに陥った幹部たちが一斉に東京に集結し、ワームホールが集中した瞬間のトラフィックをハッキングする予定だった。 しかし、彼らの「傲慢さ」がそれを阻んだ。
「いいだろう。奴らが玉座から動かないというのなら、その玉座の足場を破壊して、無理やりにでも引きずり降ろしてやる」
長友は大統領の権限を行使するための暗号端末を引き寄せた。 標的は、先ほどの通信で最も油断していた「中東・アフリカ担当幹部」のブロックだ。
「トリム、ペンタゴン(国防総省)と統合参謀本部に、最高司令官(大統領)権限で直通回線を繋げ。……極秘の緊急作戦(ブラック・オプス)を発動する」
『回線、繋がりました』
「私だ、大統領だ。中東地域に展開している第5艦隊および全ての前線部隊に対し、即時撤退に向けたフェーズ1の陣形移動を命じる。表向きの理由は『自国第一主義に基づく軍事予算の劇的削減』だ」
電話の向こうで、軍のトップが困惑し、激しく反発する声が漏れ聞こえる。中東からの突然の米軍撤退は、パワーバランスを完全に崩壊させ、地域全体を火の海にする暴挙だからだ。
「つべこべ言うな。これは決定事項だ。我が国は今後、他国の泥沼には一切介入しない。今すぐ艦隊の舵を切れ」
長友は一方的に通信を切った。 超大国の軍隊が中東から突如として消え去れば、中東・アフリカ担当の幹部が緻密に計算していた「局地戦のコントロール」と「原油価格のアルゴリズム」は完全に破綻する。
幹部たちはすぐに気づくだろう。自分たちが都合よく座らせた「操り人形」が、実は狂犬であり、彼らの喉笛を噛み千切ろうとしていることに。
「さあ、地上を地獄の炎で焼いてやる。お前たち神々は、いつまでその優雅なティータイムを続けていられるかな?」
長友は、世界地図のディスプレイが真っ赤なエラー予測で染まっていく様を、氷のような眼差しで見つめていた。
東京、灰色のビルの地下第2層。 間宮は、無機質なコンクリートと金属の配管が入り組む暗い通路を、音もなく進んでいた。
先ほどまでの「長友によるサイバー援護」は、ここまでは届いていない。外部ネットワークから物理的に遮断されたこの深層エリアでは、間宮自身の力だけで突破するしかなかった。
その時、通路の奥の暗がりから、複数の赤いセンサー光が灯った。 機械的な駆動音。現れたのは、人型の暗殺ドローン(猟犬)ではない。六本の多関節脚を持ち、全身を重装甲で覆われた旧式の防衛ゴーレム「イージス」だった。外部ネットワークに接続せず、侵入者の熱源と質量だけを感知して物理的に粉砕する、純粋な殺戮機械。
『対象の生体反応、ペンタグラムの現役リストに該当せず。排除モードへ移行』
無機質な機械音声とともに、三体のイージスが巨体に似合わぬ恐ろしい速度で壁や天井を這い回り、間宮へと襲いかかってきた。鋭いチタンの爪が、間宮の頭部を狩り取ろうと迫る。
間宮は後退しながら、右手の「カード」を前に突き出した。 だが、イージスは空間制御などという高度な技術を使っていない。ただの純粋な暴力。カードの赤い光が放つ「高次元のバグ」は、物理的な装甲を持つこの機械には通じない。
「……なるほど。ハイテクが通じない相手には、ローテクで来るというわけか」
間宮はギリッと歯を食いしばり、突進してくる一体目のイージスの足元へスライディングで滑り込んだ。頭上を鋭い爪が通過する。 彼は懐から、先ほど地下鉄のターミナルから持ち出した「太い金属製のスパナ」を取り出し、イージスの多関節脚の駆動部(ジョイント)の隙間へと正確に突き立てた。
ガガギィィィッ!!
関節に異物を噛み込んだイージスが、けたたましい金属音を立ててバランスを崩し、自らの勢いで壁に激突して火花を散らす。 火星の管理者であった間宮だが、長年「地球の放浪者」として生きた経験が、彼に泥臭い生存本能と機転を与えていた。
「俺はもう、ただ玉座に座って数字を眺めるだけの神じゃない」
立ち上がった間宮は、残る二体のイージスを鋭く睨み据えた。 特権階級の築いた絶対的な城の最深部、計時装置が待つ広間まで、あと少しまで迫った。

