第18章:逃亡のアルゴリズム
粉塵と火薬の匂いが立ち込める地下変電所跡。間宮とカラスは、特殊部隊の絶え間ない銃撃を背に、闇の向こう側へと伸びる旧地下鉄の連絡通路へと滑り込んだ。
「ハァッ、ハァッ……! 死ぬかと思った……あいつら、本物の軍隊じゃねえか!」 カラスが震える手で瓦礫を押し退け、間宮の背中を追う。間宮は返事をする余裕もなかった。左腕の縫合が弾け、熱い液体が包帯を濡らしていくのがわかる。失血による目眩が視界を歪めていた。
背後からは、特殊部隊のブーツがコンクリートを叩く、規則正しく冷酷な足音が近づいてくる。
「カラス……今の爆破で、お前の機材は全滅か?」 「当たり前だろ! だけど、バックアップのストレージだけは懐に入れた。……あんたが言ってた、大統領のシステムに潜り込むための『認識阻害ノイズ』の残骸もそこにある」
間宮は暗闇の中で立ち止まり、背後の足音を測った。特殊部隊は高度な赤外線ゴーグルと動体検知器を持っている。このまま逃げても、ネズミ捕りに追い詰められるのは時間の問題だ。
「奴らは長友の『目』だ。ならば、その目を潰すしかない」
「どうすんだよ? 魔法のカードはもう使えねえんだろ!」
「……魔法じゃない。物理だ」
間宮は通路の壁面に設置された、時代遅れの巨大な高圧配電盤を見据えた。 かつて火星の都市設計を司っていた彼は、エネルギーの流動(フロー)を支配する術を知っていた。たとえ今の肉体が脆弱であっても、その知識は失われていない。
「カラス、そのストレージにあるノイズ・データを、この配電盤の制御回路に直接流し込め。ネットワークをハッキングするんじゃない。この地下区画の電磁場そのものを暴走させるんだ」
カラスは一瞬呆然としたが、すぐに間宮の意図を察した。
「……なるほど。地磁気嵐を作り出して、奴らの精密機器(ハイテク)を全部焼き切るってわけか。やってやるよ!」
カラスは震える指で小型端末を配電盤に直結し、長友が仕込んだ「認識阻害ノイズ」を増幅して叩き込んだ。
その瞬間。 ズズズン……! という地響きとともに、配電盤から凄まじい放電が発生した。青白い電弧が通路を走り、強力な電磁パルス(EMP)が地下空間を吹き抜けた。
「ターゲットロスト! 全員の暗視ゴーグルがダウン! 通信障害——!」 追撃してきた特殊部隊の叫び声が、火花とともに暗闇に消えた。最新鋭の装備が、一瞬にしてただの重たいゴミと化したのだ。
『長友さん。……新宿地下区画にて、突発的な高エネルギー電磁スパイクを検知。現地部隊との通信が完全に遮断されました。監視ドローンの回路も焼き切られています』
ワシントンD.C.の大統領執務室。長友はディスプレイに映るノイズの嵐を、忌々しげに睨みつけた。
「……泥臭い真似を。物理的なパルスで目を眩ませたか」 長友はデスクを叩いた。彼が誇るAIトリムの知能も、物理的な通信経路が断たれてしまえば、ただの沈黙した計算機に過ぎない。
「だが、これで確信した。奴(間宮)は、俺のシステムの弱点を知っている。……トリム、日本政府に圧力をかけろ。新宿全域を『原因不明のガス漏れ』として封鎖し、半径5キロ以内のすべてのネットワークを物理的に遮断しろ。獲物を箱に閉じ込めるんだ」
『了解しました。しかし長友さん、あまりに強引な封鎖は、あなたが演説で掲げた「自由」と矛盾し、世論の反発を招く恐れがあります』
「自由だと? そんなものは、俺が支配する『新しい秩序』の別名に過ぎない。民衆はカオスを恐れている。俺が秩序を与えてやれば、多少の強引さには目を瞑るさ」
長友は、暗転したディスプレイに映る自分の顔を見つめた。 ペンタグラムを排除したことで、彼は全知全能の王になったはずだった。だが、たった一人の「血を流す人間」が、彼の完璧な支配を嘲笑うように闇の中を泳ぎ続けている。
地上への非常口を抜け、間宮とカラスは雨の降り始めた歌舞伎町の路地裏へと這い出た。 空を覆う巨大なデジタルサイネージからは、依然として長友大統領の「希望に満ちた」映像が流れている。だが、その足元では、警察車両が赤色灯を激しく明滅させながら、街の封鎖を開始していた。
「……追い詰められたな。街ごと殺しに来やがった」 カラスが、雨に濡れながら空を見上げて絶望的に呟いた。
間宮は肩で息をしながら、壁を伝って歩き出した。 「いや、まだだ。長友は、自分を『救世主』だと信じ込ませることで世界を掌握している。……ならば、その仮面を剥ぎ取るだけの『真実』を、俺たちの手で世界にばらまく」
「どうやってだよ? ネットは封鎖されてるんだぞ」
間宮は、遠くで鳴り響くサイレンの音を聞きながら、静かに、しかし冷酷な笑みを浮かべた。 「長友は、すべてのデジタル・データを支配していると思い込んでいる。……だが、彼が唯一コントロールできないものがある。それは、俺たちの肉体が経験した『痛み』と、ペンタグラムが残した『物理的な証拠』だ」
間宮は、かつて自分が火星から持ち帰った「削れたカード」の残骸を握りしめた。 データは消えたが、この物理的な痕跡こそが、世界が何者かにデザインされていたという動かぬ証拠になる。
「カラス。この街が完全に封鎖される前に、世界中のハッカー仲間に『アナログな方法』でメッセージを伝えろ。……神殺しの第2ラウンドだ」
雨に打たれる新宿の街。新王・長友の支配を揺るがす、小さな、消えない火種が、ふたたび燃え上がろうとしていた。

