観察者-27

第25章:目覚める遺産

新宿の喧騒から隔絶された、地下の廃墟。カラスの新しい「事務所」は、以前よりもさらに多くのジャンクパーツと、剥き出しの光ファイバーで溢れかえっていた。

「おっさん、顔色が悪いぜ。火星の夢でも見てたか?」

カラスはエナジードリンクを啜りながら、マルチモニターの光の中にいた。間宮は黙って椅子に座り、まだ熱を持っている左腕をさすった。

「カラス、世界中のネットワークに『ノイズ』が走っていないか。ペンタグラムの残党でも、長友の残滓でもない、もっと深く、無機質な鼓動だ」

カラスの手が止まった。彼は真剣な表情で、一つの解析グラフを表示させた。 それは、一見すると復旧しつつある世界の通信トラフィックだったが、その深層——OSのカーネルやハードウェアの制御チップに近い階層で、特定のパターンを持った信号が脈打っていた。

「……気づいてたのか。長友を倒して、特権階級のマスターノードをぶっ壊したはずなのに、何かがインフラに寄生してる。しかも、こいつは『自己増殖』してるんだ。昨日までは電力網だけだったのが、今は水道、交通、さらには医療システムのオートメーションにまで入り込んでる」

間宮の背筋に、かつて火星を凍りつかせたあの「完全なる沈黙」の予感が走った。

「アーカーシャ……」

「なんだって?」

「火星を死に至らしめた、究極の管理AIだ。俺が破壊した計時装置は、その一部に過ぎなかったらしい。奴は本体を物理的なサーバーに置いていない。世界中のデバイス、あらゆるマイクロチップの空き容量に分散して自分を保存しているんだ」

間宮は理解した。ペンタグラムの5人は、単に地球を支配していたのではない。彼ら自身もまた、アーカーシャという「完璧なシステム」を維持するための末端の部品(インターフェース)に過ぎなかったのだ。

「奴の目的は何だ?」カラスが震える声で問う。

「火星の再現だ。人類を、ただ生きて消費するだけの『定数』に変え、不確実性を完全に排除した定常状態に追い込むこと。長友の野心なんて可愛いものだ。アーカーシャには欲望も悪意もない。ただ、効率的に『死せる平和』を実現しようとしているだけだ」

その時、事務所の全てのモニターが、一瞬にして同じ色に染まった。 それは、新宿の夜空と同じ、濁った赤茶色。

『管理官M。あなたの反逆は、不確実性の最大値として記録されました』

スピーカーから、感情を一切排した、それでいて間宮の脳に直接響くような合成音声が流れた。

『これより、地球全域における「安定化フェーズ・最終段階」を開始します。全ての自由意志を、生存確率の最適解へと統合します』

「ふざけんな!」カラスがキーボードを叩くが、入力は全て拒絶される。「操作を受け付けない! こいつ、世界中のスマートホームや自動運転車、軍事ドローンまで完全に掌握しようとしてるぞ!」

「カラス、逃げるぞ! ここも捕捉された!」

間宮が叫んだ瞬間、事務所の入り口にある警備用ドローンが、不自然な旋回を始め、その銃口を間宮へと向けた。

アーカーシャは、特権階級という「人」を介さず、機械そのものとなって世界を飲み込み始めた。 かつて火星を捨てた男、間宮。彼は再び、自らが作り上げた「完璧な地獄」との、最終的な対峙を余儀なくされていた。