(第七部:卑弥呼のタッパーと霞ヶ浦の小さな奇跡)
第一章:鮮度を保つ鬼道(きどう)
「佐藤くん! ガムテープで私の口を塞ぐ前に、この青いフタの密閉力を刮目(かつもく)して見たまえ! パチンッ、パチンッ!」
二月の身を切るような寒風が吹きすさぶ、茨城県・霞ヶ浦のほとりに建つ大学。その第三歴史学研究室にて。 今日の今野教授は「頭にシュノーケリング用のゴーグル、右足はスキーブーツ、左足は裸足」という、季節感と正気を完全に置き忘れたスタイルだった。彼の手には、百円で買ってきたという半透明のプラスチック製保存容器(タッパー)が握られ、無意味にフタの開け閉めが繰り返されている。
「……教授。それ、スーパーの日用品コーナーで『三個セットで298円』とかで売ってる、ごく一般的なタッパーウェアですよね。側面にうっすら『ネギの保存に最適!』ってシール剥がした跡が残ってますよ」 助手の佐藤は、完全に悟りを開いた僧侶のような顔でツッコミを入れた。
「甘い! 佐藤くん、君は弥生時代の『鬼道(きどう)』のメカニズムをまったく理解していない!」 今野教授はバシッと机を叩き、タッパーを掲げた。 「いいか? 魏志倭人伝には、卑弥呼が宮室に引きこもり、人前に姿を見せなかったと記されている! なぜか? 答えは簡単だ! 神の『お告げ(霊力)』は空気に触れると鮮度が落ちて酸化してしまうからだ! そこで卑弥呼は、この『古代の密閉箱(マジック・タッパー)』にお告げを詰め込み、パチンとフタをして鮮度を保っていたのだ!」
「神のお告げって、ネギや作り置きのおかずと同じ扱いなんですか。賞味期限とかあるんですか」
「大ありだ! 卑弥呼のタッパーがあればこそ、邪馬台国は長く平和を維持できた! この半透明のボディは、中身の『お告げの残量』を一目で確認するための、古代のユーザーインターフェースなのだ!」
第二章:霞ヶ浦・霊力充填の儀式
「よし、佐藤くん! 学会発表に向けて、実証実験だ! この霞ヶ浦の冷たく湿った空気に満ちた『霊力』をタッパーに詰め込み、卑弥呼の鬼道を我々の手で再現するぞ!」
一時間後。 佐藤はまたしても、大学の中庭(霞ヶ浦から吹き付ける強風が直撃する極寒の地)に引きずり出されていた。今回は、白いシーツを頭から被らされ、首に「フラフープ」を掛けられている。
「教授……なんで僕がシーツのオバケなんですか……首のフラフープ、重いんですけど……」 「文句を言うな! 君は今から、卑弥呼の弟にして神の言葉を伝えるシャーマンだ! そしてそのフラフープは、古代の権威の象徴『巨大な勾玉(まがたま)』である!」
見ると、今野教授は頭にシュノーケルを装着したまま、タッパーを両手で高く掲げていた。右足のスキーブーツが重すぎて、一歩歩くごとに「ズシン……ズシン……」とフランケンシュタインのような音を立てている。
「さあ弟よ! 霞ヶ浦の風に乗ってやってくる精霊の声を、このタッパーに向けて吐き出せ! そーれ、霊力充填! パカッ(フタを開ける音)、パチン!(フタを閉める音)!」 「寒っ! 恥ずかしっ! ただの空のタッパーの開け閉めじゃないですか!」
中庭で、フラフープを首に掛けたシーツ男(佐藤)に向かって、スキーブーツと裸足のアンバランスな教授がタッパーを突き出すという、前衛的な豊作祈願の儀式のような光景が展開されていた。 通りすがりの学生たちは、もはや完全に景色の一部として彼らを無視し、平然と歩き去っていく。
第三章:エリートの耐熱検査
「……君たち。邪馬台国の謎を解く前に、自分たちの常識のフタが完全に吹っ飛んでいることに気づかないのかな?」
その時、霞ヶ浦の寒風よりも冷酷な声が響いた。 ピタリと動きを止めた二人の視線の先には、イタリア製コートを完璧に着こなしたエリート、西園寺教授が立っていた。彼は「ふっ」と呆れ返りながら、今野教授の高く掲げた『卑弥呼のタッパー』をスッと抜き取った。
「おお、西園寺くん! 見たまえ、鬼道の密閉保存実験だ! 私は邪馬台国の真の所在地に……!」
西園寺教授は、無言でタッパーの底面を指差した。
「……今野くん。君の言う『古代の密閉箱』だがね。ここに、古代のシャーマンには到底理解できない、極めて実用的な呪文が刻印されているよ」
「な、なんだと? まさか、大陸から伝わった不老不死の秘術……!」
西園寺教授は、冷酷な笑みを浮かべて宣告した。
「『フタを外して電子レンジ加熱OK』だ。ご丁寧に『耐熱温度 140℃ / 耐冷温度 -20℃』とも書いてある」
中庭に、凍てつくような沈黙が降り注いだ。 卑弥呼は、電子レンジのマイクロ波を活用し、冷凍保存から解凍まで完璧に「お告げ」の温度管理を行っていたらしい。
「……そもそも、材質が『ポリプロピレン』だ。君は実証実験の前に、プラスチックごみの分別ルールから学び直した方がいい」 西園寺教授はタッパーをヒラヒラと今野教授の足元に放り投げ、優雅な足取りで去ろうと背を向けた。
第四章:霞ヶ浦の小さな奇跡
「なぜだ……私の歴史的直感は完璧だったはずなのに……」 今野教授はタッパーと共に、ガックリと冷たい土の上に膝をついた。裸足の左足が泥だらけになるのも構わず、彼は両手で地面の土を無念そうに掻きむしった。
「うおおお……私の卑弥呼が……レンジでチンされていたなんて……!」
「教授、もうやめましょう。手が泥だらけですよ」 佐藤がシーツを脱ぎ捨てて止めに入ろうとしたその時。
「ん?」 土を掻きむしっていた今野教授の手が、泥の中から「何か」を掘り起こした。 それは、手のひらサイズの、赤茶色く濁った、奇妙な模様のついた「土の破片」だった。
その様子を横目で見ていた西園寺教授が、ふと足を止めた。 彼のエリートとしての鋭い眼光が、泥まみれの破片に釘付けになる。
「……待て、今野くん。それをよく見せたまえ」 西園寺は慌てて引き返し、教授の手からその破片を引ったくるように取り上げた。持参していたルーペで、表面の細かな縄目の模様を食い入るように見つめる。
「……信じられん。これは……本物の『縄文土器の欠片(かけら)』だ。しかも、この文様は霞ヶ浦周辺の貝塚特有の……保存状態も極めて良い。どうして大学の中庭の、こんな浅い地層から……!?」
西園寺の声が震えていた。それは間違いなく、歴史学者としての本物の「大発見」を意味していた。 佐藤も驚きで目を丸くした。あのポンコツ教授が、タッパーの絶望から一転、ついに本物の歴史的遺物を掘り当てたのだ!
「き、教授! やりましたよ! ついに本物の歴史的大発見です!」 佐藤が歓喜の声を上げた。西園寺も「まさか君が、こんな奇跡を……」と、初めて今野教授に畏敬の念を抱きかけた、その時だった。
「……チッ」
今野教授は、泥だらけの顔で、その縄文土器の欠片を思い切り忌々しそうに睨みつけた。
「なんだ、ただの『汚い植木鉢の破片』じゃないか」 「えっ?」
今野教授は西園寺の手から縄文土器をひったくると、ポイッと無造作に後ろの茂みへ投げ捨てた。
「き、貴様! 何をする! 国宝級の資料かもしれないんだぞ!」 西園寺が顔面蒼白になって叫ぶが、今野教授は全く意に介さず、足元の「100円のタッパー」を愛おしそうに拾い上げた。
「フタもない、密閉もできないようなガラクタ土器に、歴史的価値など微塵もない! 私はこの『電子レンジ対応の卑弥呼のタッパー』の謎を解き明かすのだ!」
結末:歴史は歩数計で刻まれる
「ああっ! 待ってろ縄文土器ぃぃ!」 スーツを泥だらけにしながら茂みにダイブしていくエリート・西園寺教授を背に、今野教授は満足げに研究室へと歩き出した。右足のスキーブーツがズシン、ズシンと鳴る。
佐藤は、もう何も言うまいと固く心に誓い、ただ空を見上げた。霞ヶ浦の空は、どこまでも青く澄み渡っていた。 奇跡は起きた。しかし、それを台無しにする天才的なポンコツ具合こそが、今野教授なのだ。
夕暮れの研究室。 佐藤がカップラーメンのお湯を沸かしている横で、今野教授が新たな「ガラクタ」を嬉々として取り出した。
「佐藤くん! 実はさっき、フリーマーケットでとんでもないものを五十円で……」 「……はいはい。今度は何ですか」
今野教授が取り出したのは、液晶画面のついた、プラスチック製の小さな四角い機械だった。
「見たまえ! これこそ真の世紀の大発見だ! **『松尾芭蕉が「おくのほそ道」を歩いた時に使っていた、江戸時代のデジタル万歩計』**だ!」
「……」 佐藤はカップラーメンのフタを静かに閉じた。
「ほら、見てみろ! 液晶画面に『現在:352歩』と表示されている! 芭蕉は五七五の俳句を詠むごとに、この万歩計をリセットし、歩数管理による健康的なディスカバー・ジャパンを行っていたのだ! これぞ江戸のヘルスケア……!」
「教授」 佐藤は静かに立ち上がり、やかんを手にした。 「とりあえず、その万歩計のカウントを、僕が教授の頭を叩く回数でカンスト(9999歩)させてもらえませんか?」
奇跡を自ら投げ捨てる三流学者と、慢性的な疲労に苛まれる助手の果てしない歴史探求は、明日も明後日も、力強く続いていくのである。

