ケース1:コメディ風に
「魔王討伐という大義名分は、王都労働基準法第32条『労働時間の制限』を逸脱する免罪符にはなりません」
王都ギルド労働監査局の主任監査官である私、ユーリアは、分厚いバインダーを机に叩きつけた。 応接室のソファで居心地悪そうに身を縮めているのは、現在「魔王討伐クエスト」を請け負っている勇者アーサーである。彼は伝説の聖剣を膝に抱え、困惑したように金髪を掻きむしった。
「ですがユーリア監査官。魔物たちは定時なんて守ってくれませんよ? 深夜に野営地をゴブリンに襲撃されたら、戦うしかないじゃないですか」 「結構です。しかし、その場合は法に基づく『深夜労働割増賃金(25%増し)』をパーティメンバーに支払っていますか? 提出されたパーティの帳簿には、その記載が一切ありません。完全なサービス残業です」
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。 「さらに問題なのは、僧侶のエリーゼさんです。彼女の先月のタイムカード……いえ、ギルドクリスタルによる活動記録を確認したところ、月間の時間外労働が180時間を超えています。明らかな過労(オーバーワーク)です」 「だって、彼女はパーティの唯一の回復役(ヒーラー)で……」 「『やりがい搾取』の典型的な言い訳ですね。彼女のMP(マジックポイント)は無限ではありません。メンタルヘルス不調で休職された場合、パーティの進行は完全にストップしますよ」
勇者アーサーは「うぐっ」と喉の奥で唸り、反論できないでいた。 私はバインダーのページをめくり、さらに追及の手を緩めない。
「次に、安全衛生法違反の疑いです。戦士のガルドさんには全身を覆うミスリル製のフルプレートアーマーを支給しているにもかかわらず、魔法使いのセリアさんの装備は『布の服』、しかも防御力が高いという理由だけで極端に露出の多い『ビキニアーマー』を着用させていますね?」 「そ、それは! 伝説の防具屋で『これが一番防御力(ステータス)が高い』と言われたからであって、僕の趣味じゃ……!」 「肌の露出面積と防御力が比例するなどという非科学的なデータは、労働安全衛生委員会では認められません。職場におけるセクシャルハラスメント、並びに極寒の雪山ダンジョンにおける深刻な体温低下(労災)の原因となります。直ちに適切な防寒着と安全装備を支給してください」
勇者は完全に顔面を蒼白にしていた。 かつては「選ばれし若者たちが、無報酬で命を懸けて世界を救う」という美談がまかり通っていた時代もあった。しかし、今は王暦202X年である。コンプライアンスの波は、魔界の瘴気よりも早く世界を覆い尽くしているのだ。
「いいですか、勇者アーサー。世界を救う前に、まずはあなたのパーティの労働環境を救ってください。以下の是正勧告に従わない場合、ギルドはあなたから『勇者』のライセンスを剥奪し、クエストを大手ギルドに業務委託します」
私は一枚の羊皮紙を突きつけた。
- 完全週休二日制の導入(土日は魔王軍との戦闘を原則禁止とする)
- 三六協定(サブロクきょうてい)の締結(ダンジョン探索は1日8時間まで)
- 有給休暇の計画的付与(最低でも年に5日は温泉街などでの保養を義務付ける)
- ハラスメント講習の受講(ビキニアーマーの着用強要禁止)
「ど、土日に戦闘禁止って……もし魔王軍が攻めてきたらどうするんですか!?」 「事前に魔王軍の人事部と協議し、『休戦協定』を結んであります」 「魔王軍に人事部があるの!?」 「ええ。あちらのほうがよほどホワイト企業ですよ。魔王様は最近、部下の有給消化率100%を達成して『ベスト・オブ・魔界エンプロイヤー賞』を受賞されましたからね」
勇者は絶望したようにソファに崩れ落ちた。聖剣が床に落ちて、カランと虚しい音を立てた。
「……わかりました。パーティの労働環境を改善します。セリアにも、ちゃんと厚手のローブを買って着せます」 「結構です。次回の監査は一ヶ月後に行います。労務管理の徹底をよろしくお願いしますね、リーダー」
私は満足して応接室を後にした。
数ヶ月後。 勇者パーティは、見事魔王の討伐に成功し、世界に平和をもたらした。 魔王城での最終決戦は、火曜日の午後2時という非常に健全な時間帯に行われたという。魔王も勇者も「17時の定時までには決着をつけて、早く帰ってビールを飲もう」という固い共通認識のもと、ダラダラとした長口上を省き、非常に効率的かつ生産性の高いバトルを繰り広げたそうだ。
勇者は凱旋パレードのインタビューで、誇らしげにこう語っていた。 「しっかり休んで、残業をなくしたことで、パーティのDPS(時間あたりのダメージ量)が劇的に向上しました。やっぱり、ワークライフバランスって大切ですね!」
私はギルドのオフィスでその中継を見ながら、定時のチャイムと共にパソコンをシャットダウンした。 さて、今日はまっすぐ帰って、美味しいオムライスでも食べに行こう。世界は今日も、適切な労務管理によって平和に保たれているのだから。
ケース2:光瀬氏風に
たそがれが、王都を黄金色に染め上げていた。 はるかなる時の彼方から吹き寄せる風が、ギルド労働監査局の窓を静かに揺らしている。
「魔王討伐という名の業(カルマ)は……」 私、主任監査官ユーリアは、沈黙する虚空に向かって語りかけるように言った。分厚い監査ファイル――無数の労働者たちの嘆きが刻まれた阿頼耶識(あらやしき)の記録を、冷たい大理石の机に置く。 「王都労働基準法第三十二条、すなわち星々の運行が定めた『時の制限』を逸脱する免罪符にはならぬのだ、アーサーよ」
伝説の聖剣を膝に抱いた勇者アーサーは、黄昏の光の中でひどく孤独に見えた。彼は困惑したように、輝きを失いつつある金髪を掻きむしった。
「だが、ユーリアよ。闇の眷属たちは、我らが『定時』と呼ぶ安息の刻を待ってはくれぬのだ。深夜の荒野でゴブリンの群れに強襲されたとき、我らはただ、剣を抜く運命(さだめ)にある」 「なればこそ問おう。深夜労働割増賃金――すなわち、二割五分の追加の生命の糧(プラーナ)を、汝は同胞たちに支払っているか? 提出された帳簿には、その痕跡が一切ない。これは完全なる奉仕、無の空間への搾取である」
私は、知性の象徴である眼鏡のブリッジを静かに押し上げた。
「さらに問う。僧侶エリーゼのギルドクリスタルに刻まれた活動記録……それは凄惨なる魂の摩耗であった。月間の時間外労働が、百八十時間を超えている。これは明らかな過労(オーバーワーク)、精神の枯渇へ至る道だ」 「彼女は、我らが旅路における唯一の癒やし手なのだ……」 「やりがいという名の幻想で、他者の生命を消費してはならない。彼女の精神が崩壊し、輪廻の海へ沈んだとき、お前の旅もまた終焉を迎えるのだ」
勇者はうめき声を上げ、身をよじった。 私はページをめくり、冷徹なる事実を突きつけ続ける。
「安全衛生法という宇宙の理(ことわり)にも反している。戦士ガルドに重厚なるミスリルの鎧を与えながら、魔法使いセリアには『布の服』――あまつさえ肌を極度に露出するビキニアーマーなる装束を強要しているな。これは大宇宙の絶対零度に対する冒涜であり、深刻な体温低下(労災)を招くものだ。ステータスという名の虚構に惑わされるな」
勇者は顔面を蒼白にしていた。 かつて、選ばれし若者たちが命を削り、無報酬で世界を救済するという叙事詩がまかり通った時代もあった。しかし、今は王暦202X年。コンプライアンスの波は、魔界の瘴気よりも早く、この星を覆い尽くそうとしている。
「星界の理を記したこの勧告書に従うのだ、勇者よ。さもなくば、ギルドは汝から『勇者』の刻印を剥奪するであろう」
一、完全週休二日制(安息日の戦闘の禁忌) 二、三六(サブロク)協定の締結(一日八時間を超える探索の制限) 三、有給休暇の付与(星を巡る保養の義務) 四、ハラスメント講習の受講
「安息日に魔王軍が侵攻してきたら、いかがするのだ……」 「憂う必要はない。魔王軍の人事部とは、すでに休戦の盟約を結んである」 「魔王軍に、人事部が……?」 「左様。深淵の王は、宇宙の熱的死(エントロピー)をすでに理解している。無駄な消耗を避け、部下の有給消化率百パーセントを達成し、『ベスト・オブ・魔界エンプロイヤー賞』を受賞したばかりだ。彼らは、定時退社という名の静寂を誰よりも愛しているのだ」
勇者は絶望の淵に沈むように、ソファに崩れ落ちた。聖剣が床に落ちて、カランと虚しい音を立てた。
数ヶ月後。 魔王城での最終決戦は、火曜日の午後二時という、太陽が中天からわずかに傾いた穏やかな刻(とき)に行われた。
魔王も勇者も、「十七時の定時までにこの業(カルマ)に終止符を打ち、速やかに帰還して麦酒(エール)を呷ろう」という暗黙の宇宙的真理を共有していた。果てしない長口上は省かれ、ただ効率的で、静謐なる閃光だけが交差したという。
勇者は凱旋パレードの喧騒の中、はるかなる空を見上げてこう語った。 「休息を知り、残業という名の無の時間を削ぎ落としたことで、我らの時間あたりの破壊力(DPS)は劇的に向上した。ワークライフバランスこそが、真の光であったのだ」
私はギルドの窓辺でその中継を見つめながら、定時のチャイムと共に静かに端末(ターミナル)を落とした。 夜が来る。美味しいオムライスを食べに行こう。 適切な労務管理によって保たれたこの世界で、悠久の時の流れの中で、今日という一日がまた、静かに終わろうとしていた。
ケース3:小松氏風に
魔王軍との非対称戦争が長期化する中、王都の社会システムは静かな、しかし致命的な崩壊の危機に瀕していた。
「前線における『英雄的行為』という名の異常な労働集約型システムは、すでに限界点を超えているのだよ」
王都総合ギルド機構・労働環境監査局の主任査察官であるユーリアは、卓上に山積みされた分厚いデータ・ファイルを叩いた。 対座する男――戦術級の破壊力を持つ特務遊撃隊長、通称「勇者」アーサーは、防刃と光学迷彩を兼ねた最新の戦闘服のなかで居心地悪そうに身をよじった。
「ユーリア査察官。事態の切迫度を理解していただきたい。我々が直面しているのは、種の存亡を賭けた総力戦だ。深夜に敵性異種族(ゴブリン)の奇襲を受けた際、『規定の就業時間を超過しているから』と剣を収めるわけにはいかないだろう」 「非常事態条項を盾にした際限のない動員が、いかに兵站と人的資源を食いつぶすか、君は歴史から何も学んでいないようだな」
ユーリアは冷徹な視線を向けた。 「提出された活動ログ(生体テレメトリー)を解析した結果、君の部隊の深夜戦闘における割増賃金の未払いが発覚している。だが、問題の本質は経済的な損失ではない。回復術士(ヒーラー)たるエリーゼのデータだ。彼女の月間超過活動時間は百八十時間を突破している。人間の神経系が許容できる精神的リソースの臨界点を、完全に逸脱しているのだ」
「彼女の特異な再生能力に依存せざるを得ない作戦上の理由が……」 「システムの単一障害点(シングルポイント・オブ・フェイリア)を一人の生身の女性に押し付けている、という組織論の欠陥だよ。彼女が不可逆的な精神崩壊を起こした場合、君たちの部隊という微小生態系は即座に全滅する」
アーサーは沈黙した。彼個人のヒロイズムでは、この冷徹な統計的真実に抗うことはできない。
「さらに不可解なのは、装備調達における極端な非合理性だ」 ユーリアはホログラム・プロジェクターを起動し、魔法使いセリアの画像を空中に投影した。 「前衛の戦士には重装甲のミスリル合金を与えながら、なぜ後衛の彼女の装備は極端に体表面積を露出させた『ビキニアーマー』なのだ? 魔力伝導率の向上というオカルトじみた迷信を信じているのか? 局所気象の激しい変動が予測される極寒の雪山地帯において、このような防寒機能の欠如は、致死的な体温低下を招く。労働安全衛生法違反であると同時に、深刻なハラスメント事案だ」
「し、しかし、旧時代の文献によれば、それが最も『ステータス』を高めると……」 「神話の時代のパラダイムで現代の総力戦を戦うつもりか。直ちに環境適応型の防護服を支給したまえ」
ユーリアはため息をつき、一枚の電子ペーパーを勇者の前に滑らせた。
「勧告書だ。第一に、完全週休二日制の導入。第二に、特例第三六条協定の厳守。第三に、有給休暇の計画的付与。君たち遊撃隊が自己犠牲という名の無秩序な消耗戦を続ければ、やがて王都の人的資源は枯渇し、魔王軍を待たずしてこの文明は自壊する」
「土日に戦闘を禁じられて、もし敵の機動部隊が王都の防衛線を突破してきたらどうする!」 アーサーの悲痛な叫びに、ユーリアは表情を変えずに答えた。
「その懸念はすでに排除されている。我々監査局は、不可侵空間通信を通じて、魔王軍の軍令部……あちらの言葉で言えば『人事総務局』と、週末における相互不干渉の不可侵条約(休戦協定)を締結した」 「魔王軍に……人事局だと?」
「彼らを単なる野蛮な破壊衝動の塊と考えるのは、我々の傲慢な偏見に過ぎない。魔王と呼ばれるあの巨大な中枢知性は、はるかに高度な社会モデルを構築しているのだ。彼らは組織の熱的死(エントロピーの増大)を防ぐため、完全な休養サイクルをシステムに組み込んでいる。先月など、魔界の有給消化率が百パーセントに達したと、あちらの担当者が誇らしげに報告してきたよ」
勇者アーサーは、自らの信じていた世界の構図が足元から崩れ去るのを感じ、深く椅子に沈み込んだ。
数ヶ月後。 かくして、王暦202X年における「大魔界戦役」の最終局面は、歴史上のいかなる戦争とも異なる様相を呈した。
人類存亡を賭けた魔王城での最終決戦は、火曜日の午後二時という、双方のバイオリズムが最も安定し、かつ定時退庁までに十分な余裕を残した時間帯に実行された。 魔王も勇者も、「無意味な消耗戦を避け、速やかに戦術目標を達成し、一七時には帰還して休息をとる」という高度に合理的な共通認識のもと、無駄な会話や感情的な挑発を一切排除し、極めて効率的かつ高密度のエネルギーの応酬のみを行った。
後に勇者は、王都のメディアネットワークの取材に対し、静かなトーンでこう語っている。 「適切な休息の導入と兵站のシステム化が、我々の時間あたりの破壊力(DPS)を劇的に向上させた。精神論による限界突破など、持続可能な人類の生存戦略とは呼べないのだと、我々はついに理解したのです」
ユーリアは監査局の窓から、夕日に染まる王都の巨大なビル群を見下ろしていた。 定時を知らせる電子チャイムが、街全体に鳴り響く。 人類という種が、宇宙の冷酷な法則に立ち向かうための最大の武器は、魔法でも剣でもない。理性の光による、適切なリソース管理なのだ。彼女は端末の電源を切り、静かにオフィスを後にした。
ケース4:筒井氏風に
「魔王討伐だあ? 冗談じゃないわよ! 勇者だか何だか知らないけどね、テメエらのやってる事は立派な労働基準法第三十二条違反、すなわち完全なるブラック企業の違法操業なんだよ!」
王都ギルド労働監査局の主任監査官ユーリアは、六百ページはあろうかという分厚いバインダーを応接室の机にドカーンと叩きつけた。あまりの衝撃に、出されたばかりの安物のハーブティーが空中に飛び跳ね、勇者アーサーのピカピカの顔面に降り注いだ。
「ひえっ!」 伝説の聖剣を抱きしめたアーサーは、すっとんきょうな悲鳴を上げてビクゥッと飛び上がった。 「ゆ、ユーリア監査官! 話を聞いてくださいよ! 魔王軍は定時なんて守ってくれないんです! 夜中の三時にゴブリンの群れにテントを襲撃されたら、寝間着のままでも剣を振るうしかないじゃないですか!」
「アホか!」ユーリアは机から身を乗り出し、勇者の鼻先にボールペンを突きつけた。 「だったら深夜労働割増賃金をきっちり二割五分増しで払えって言ってんの! 提出された給与明細、というか戦利品分配帳簿を見たけどね、見事なまでのサービス残業(サビ残)じゃないの! しかも僧侶のエリーゼ! 彼女の先月の時間外労働、百八十時間よ!? 過労死ラインをダブルスコアでぶっちぎってるわ! アンタ、彼女のMPをなんだと思ってるの? 無尽蔵に湧き出るミネラルウォーターか何か?」
「だ、だって、彼女しかホイミ的なことができないんだから……!」 「出たわね、『君にしかできないんだ』っていう典型的なやりがい搾取! 彼女が鬱になって飛んだらどうすんの! パーティ全滅でゲームオーバーよ!」
勇者はブクブクと泡を吹きそうになりながら、聖剣にすがりついて震えている。 ユーリアは容赦なくバインダーのページをめくった。
「さらに最悪なのが安全衛生法違反! 戦士のガルドには重さ三十キロのミスリル製フルアーマーを着せておきながら、魔法使いのセリアの装備は何あれ? 『布の服』? 布っていうか、ただの紐じゃないの! 防御力ゼロ、露出度九十八パーセントのビキニアーマー一丁で、極寒の氷のダンジョンを歩かせるって、アンタ頭湧いてんの!? 重度のセクハラかつ極端な労災案件よ!」
「そ、それは伝説の防具屋の親父が『これが一番ステータスが上がる』って……僕の個人的な趣味じゃなくてですね!」 「ステータスが上がる前に体温が下がるわ! 凍死するわよ! いますぐユニクロの極暖ヒートテックの上下セットと、厚手のダウンコートを支給しなさい!」
アーサーは完全に白目を剥いてソファにずり落ちた。 かつて勇者といえば、無休で野山を駆け回り、村人のタンスから勝手に薬草を奪い取りながら世界を救う、超法規的ボランティアの代名詞であった。しかし、今はコンプライアンスの時代である。魔界の瘴気よりも、労基署のガサ入れのほうがよっぽど恐ろしいのだ。
「いいこと、アーサー。以下の是正勧告にサインしなさい。完全週休二日制、三六協定の順守、そして有給消化。できなければ、明日からアンタの『勇者ライセンス』は即刻停止よ」 「ど、土日に魔王が攻めてきたら……世界は滅亡しますよォォ!」
「バカね。魔王軍の人事部長とは、すでに『週末不可侵条約』を結んでるわよ」 「ま、魔王軍に人事部!?」
「当たり前でしょ。あっちのほうがよっぽどホワイトよ。魔王様なんて『有給消化率百パーセント達成』で、魔界優良企業認定の三ツ星を取ったばかりなんだから。魔王軍は十七時を過ぎたら、武器を置いて魔界の居酒屋でホッケつついてんのよ!」
勇者はついに口から一筋のよだれを垂らし、完全に意識を手放した。
それから数ヶ月後。 王暦の歴史に燦然と輝く「大魔王討伐の最終決戦」は、火曜日の午後二時ジャストという、なんとも言えない中途半端な時間帯に火蓋を切った。
魔王城の玉座の間は、殺伐とした血みどろの戦闘空間ではなく、まるで月末の決算期を迎えた経理部のような、ピリピリとした異常に効率的な殺意に満ちていた。 「十七時までに終わらせるぞ! 残業は絶対悪だ!」 ダウンコートを着込んだセリアが、極大魔法をノーモーションで連発する。 魔王もまた、腕時計(ロレックスの魔界限定モデル)をチラチラ見ながら、無駄な長口上や「フハハハ」といった余計な高笑いを一切カットし、最短ルートで破壊光線を乱れ撃ちしてきた。
両者ともに「早く帰ってビールが飲みたい」という絶対的な共通目的のもと、恐るべき集中力で戦いは進み、午後四時四十五分。 勇者アーサーの放った定時退社の一撃(ギガ・スラッシュ)が、魔王の急所を見事に貫いた。
「見事だ、勇者よ……。これで我も、ようやく長い有給休暇(えいえんのねむり)につける……」 「お疲れ様でした! タイムカード押して帰ります!」
午後五時ジャスト。 王都のギルド・オフィスで、ユーリアは定時のチャイムと同時にパソコンの電源をブチッと切った。 「さて、世界も救われたことだし、今日は焼肉ね」
窓の外では、夕焼け空の下を、タイムカードを切り終えた魔王軍の残党と勇者パーティが、仲良く肩を並べて新橋方面の居酒屋へと消えていくのが見えた。 世界は今日も、適切な労務管理と狂気じみた効率化によって、圧倒的に平和なのである。
ケース5:かんべ氏風に
「いや、ですからね。魔王討伐というプロジェクトの重要性については、当局も重々承知しておるのですよ」
王都ギルド労働基準局・特別指導課の主任監査官ユーリアは、パイプ椅子に座った男を老眼鏡越しにジロリと睨みつけた。 応接室で肩をすぼめているのは、ギルド認定特A級請負業者、通称「勇者」のアーサー氏である。
「しかしね、アーサー君。君のところから提出された今月の『勇者パーティ稼働実績表』、これはいったいどういうことですか。深夜二時のゴブリン襲撃に対する防衛戦闘。これは立派な深夜労働です。なのに、二割五分増しの割増賃金が支払われた形跡がない。完全に『サビ残』じゃないですか」 「はあ……しかし、魔物どもは定時を過ぎてもお構いなしに襲ってきまして……」 「取引先の営業時間が不規則だからといって、労働基準法第三十二条を無視していい理由にはならんのですよ」
ユーリアは指サックをつけた指で、ドサリと積まれた書類をめくった。
「それに、この回復役(ヒーラー)のエリーゼ君。タイムカード……ああ、ギルドクリスタルの記録を見るとね、月間の時間外労働が百八十時間を超えている。完全に過労死ラインを突破しているじゃないか。彼女がメンタルをやられて労災申請でも出してみなさい、君のパーティ、一発で業務停止命令が出るよ」 「だ、だって、彼女しか回復魔法が使えないんです! 慢性的な人手不足で……」 「典型的な中小企業の言い訳だね。属人的なシステムに頼り切るからそうなる。人員計画の甘さを現場の根性でカバーしようとするのは、無能な経営者のやることだ」
勇者はぐうの音も出ないらしく、伝説の聖剣を抱え直してうつむいた。
「もう一つ、労働安全衛生法についても言わせてもらおう。魔法使いのセリア君の装備だ。なんだね、この『ビキニアーマー』というのは。雪山ダンジョンへの出張に、こんな防寒対策ゼロの格好で行かせたのかね? おまけに肌の露出度が高すぎて、極めてセクハラ的な職場環境と言わざるを得ない。即刻、安全帯と厚手の防寒着を支給しなさい」 「ち、違います! 伝説の防具屋の親父が『これが一番ステータスが高い』って言うから……!」 「業者のオーバートークを鵜呑みにしてどうするんだ。大体ねえ、魔王軍の人事部からうちに直接タレコミがあったんだよ」 「えっ? 魔王軍から?」
アーサーは素っ頓狂な声を上げた。
「そうだよ。『勇者サイドの労働環境がブラックすぎて、迎え撃つこっちの兵士までドン引きしている。労働意欲が削がれるので、王都側できっちり行政指導してくれ』ってね」 「ま、魔王軍に人事部があるんですか!?」 「向こうの組織図は君のところよりよっぽどシステマチックだよ。魔王サンは最近、ワークライフバランス推進企業として魔界商工会議所から表彰されたらしいじゃないか。部下に有給休暇をきっちり取らせているそうだ。見習いたまえ」
ユーリアは「是正勧告書」と赤字で印字された書類と、朱肉を突きつけた。
「いいかね。完全週休二日制の導入、三六協定の締結、有給の計画的付与。これらを来月までに実施したまえ。できないなら、君のところは指名停止処分だ。大手の別ギルドに魔王討伐のコンペをやり直させる」 「ど、土日に休んでいては、魔王軍に王都を乗っ取られます!」 「その点は心配無用。さっき言った魔王軍の人事部長とは、すでに『週末及び時間外における相互不可侵に関する覚書』を交わしてある。土日は向こうも完全休業だ」
勇者アーサーは深い溜息をつき、震える手で勧告書に判をついた。
数ヶ月後。 王暦の歴史に残る「大魔王討伐の最終決戦」は、火曜日の午後二時という、最も生産性が高く、かつ定時までに余裕のある時間帯に執り行われた。
魔王城の玉座の間は、熱いヒロイズムや殺意よりも、月末の棚卸し作業のようなピリピリとした業務的緊張感に包まれていた。 魔王も勇者も、「無駄な長口上は省き、十七時の定時までにこの案件(プロジェクト)をクローズさせて、早く帰って冷えたエールを飲もう」というサラリーマン的連帯感で完全に一致していたのである。
「フハハハ」といった余計な高笑いも、「我を倒しても第二、第三の……」といった無駄な引き継ぎ事項の伝達もなく、ただ物理攻撃と魔法の応酬のみが、タイムカードの打刻音のように正確に交わされた。 そして午後四時四十五分。勇者の放った会心の一撃により、魔王は予定通り討ち果たされた。
後日、王都のメディアのインタビューに対し、勇者アーサーは真面目な顔でこう答えている。 「労働環境の改善と確実な休日の取得が、パーティの生産性(DPS)向上に直結しました。やっぱり、休む時はしっかり休まないと駄目ですね」
ギルド労働基準局のオフィスでその放送を見ていたユーリアは、「よしよし」と頷き、定時を知らせるチャイムの音と共に、給湯室へマイカップを洗いに行った。 世界は今日も、適切な労務管理と所定労働時間の中で、極めて平和に回っているのである。
ケース6:星氏風に
ある日、魔王討伐の命を受けた若き勇者が、お役所に呼び出された。 応接室で待っていたのは、無表情な監査官の女だった。彼女の前には、なにやら数字がびっしりと書き込まれた書類が積まれている。
「結論から言いましょう」と、監査官は冷ややかな声で言った。「あなたのパーティは、労働基準法に著しく違反しています。このまま改善されない場合、勇者の資格を取り消さざるを得ません」
勇者は驚いて身を乗り出した。 「違反とは、どういうことですか。私たちは世界を救うために、休みなく命がけで戦っているのですよ」 「それが問題なのです。記録によれば、昨夜の深夜二時にモンスターと交戦していますね。これは完全な深夜労働ですが、仲間への割増賃金が支払われていません」 「夜中に急に襲われたからです。それに、世界を救う旅に定時なんてありませんよ」
監査官はため息をついた。 「典型的な『やりがい搾取』ですね。さらに、回復係の女性ですが、先月の労働時間が規定を大幅に超えています。過労で倒れたらどうするつもりですか。それに、魔法使いの女性の服装……あの布切れのような鎧はなんですか。雪山で肌を露出させるのは安全衛生法違反であり、明らかなハラスメントです」 「あれは防具屋が、一番効果があると言ったからで……」 「非科学的ですね。すぐにあたたかいコートを支給しなさい」
勇者は頭を抱えた。 「しかし、土日も休んで定時で戦いをやめていたら、隙をついて魔王軍に世界を滅ぼされてしまいます」
すると、監査官は涼しい顔で答えた。 「その心配はいりません。魔王軍の人事部とは、すでに協定を結んであります」 「人事部?」 「ええ。あちらの組織のほうが、よほど近代的です。残業ゼロ、有給休暇の完全消化。土日は当然、休業です。向こうの担当者も『そちらの勇者が夜中や休日に攻めてくるせいで、防衛のシフトが組めず、部下から苦情が出て困っている』と嘆いていましたよ」
勇者は言葉を失った。そして、大人しく是正勧告書にサインをするしかなかった。
数ヶ月後。 魔王と勇者の最終決戦は、火曜日の午後二時という、きわめて常識的な時間帯に行われた。
双方とも「午後五時の定時までに必ず終わらせ、早く帰って休もう」という固い意志で結ばれていた。そのため、お互いに無駄な長台詞や威嚇は一切なかった。ただ黙々と、効率よく攻撃と防御が繰り返された。
そして午後四時四十五分、勇者の効率的な一撃が魔王をとらえた。 「見事だ……。これで私も、永遠の休暇に入れる……」 魔王は満足げに言い残し、消滅した。
こうして世界には平和が訪れた。 勇者はテレビのインタビューで、誇らしげに語った。 「規則正しい生活と十分な休息のおかげで、最高の力を発揮できました」
それを役所のテレビで見ていた監査官は、満足そうにうなずいた。 そして、机の引き出しから、新しい書類の束を取り出した。
「さて、世界が平和になったことだし……次は、用済みになって大量に解雇される『元・勇者』たちの失業保険と、再就職支援の手続きにとりかからなければならないわね」
お役人の仕事というものは、いつの時代も、世界がどうなろうと尽きることがないのだった。
ケース7:平井氏風に
「貴様の正義は、血と泥に塗れた狂気だ」
王都ギルド労働監査局の主任監査官ユーリアは、冷酷な宣告と共に、およそ五キロはあろうかという分厚い監査ファイル(血に塗れた阿頼耶識の記録だ)を、大理石のデスクに叩きつけた。鼓膜を裂くような破砕音が応接室に響き渡る。
向かいのソファで野獣のように身を強張らせているのは、歴戦の勇者アーサーだった。幾多の死線を潜り抜け、その身に無数の凄絶な傷跡を刻み込んだ男の瞳には、追い詰められた狼のような光が宿っていた。
「狂気だと……?」アーサーの喉から、獣の唸り声が漏れた。「我々は命を削って魔物の群れと殺し合っている! 深夜の荒野で、血の飢えに狂ったゴブリンの群れに襲撃撃されたとき、我々に『定時』などという甘美な言葉が通用するとでも言うのか!」
「通用させるのだ、アーサー!」ユーリアは氷の刃のような視線を突き刺した。「貴様は仲間たちに、深夜割増賃金(ミッドナイト・プレミアム)を支払っているか? 否だ! 貴様のパーティの稼働記録は、完全なる無報酬の死闘(サービス・ザンギョウ)の連続を証明している!」
「ふざけるな! 世界の存亡が……」
「黙れ!」ユーリアはデスクから身を乗り出し、アーサーを威圧した。 「ならば、回復術士(ヒーラー)エリーゼの惨状をどう説明する! 彼女の生体記録(バイオ・テレメトリー)を見たぞ。月間の時間外労働(オーバーワーク)が百八十時間を突破している! 彼女は己の生命力(プラーナ)を削り、血反吐を吐きながら貴様らに治癒魔法をかけ続けているのだ! 彼女の精神(アストラル)が完全に崩壊し、狂気の淵に沈むのを待つ気か!」
アーサーは聖剣を握る手を震わせた。己の信じていた正義が、足元から崩れ去っていくのを感じていた。
「さらに許しがたいのは安全衛生法違反だ。魔法使いのセリア……あのうら若き乙女に、貴様はあろうことか防御力ゼロの痴態を晒す狂気の装束(ビキニアーマー)を着せているな!」 「あ、あれは伝説の武具屋の親父が、最も魔力を増幅させる『最強の武具(ステータス・ハイ)』だと……!」
「愚劣極まりないオカルトだ!」ユーリアは怒りに満ちた一撃を机に見舞った。「極寒の永久凍土において、女性の肌を絶対零度に晒すなど、狂気の沙汰だ! それは紛れもない性的搾取(セクシャル・ハラスメント)であり、凄惨なる労災事故への片道切符だ!」
「俺に……俺にどうしろと言うのだ! 土日すら休んでいては、魔王軍の凶刃が王都を血の海に沈めるぞ!」 絶望に吠える狼に対し、ユーリアは氷のように冷ややかな微笑を浮かべた。
「案ずるな。魔王軍人事局(デーモン・ヒューマンリソース)のトップとは、すでに話をつけ、『週末不可侵条約』を締結済みだ」 「ま、魔王軍に……人事局だと……!?」
「彼らを単なる殺戮機械と侮るな。魔王という絶対的知性は、無限の闘争がもたらす組織の崩壊(エントロピーの増大)をすでに予見している。魔界の兵士たちは今や、有給休暇(ペイド・ヴァケイション)を完全消化し、心身を癒やした上で、最高のコンディションで我々の首を狙っているのだ。貴様のようなブラック企業のワンマン社長では、束になっても勝てん!」
ユーリアは血のように赤いインクの万年筆と、絶対の服従を強いる「是正勧告書」を突きつけた。
「署名しろ、勇者。三六協定を結び、有給を与えろ。さもなくば、明日から貴様はただの犯罪者(ならずもの)だ」
アーサーは屈辱に歯を食いしばりながら、震える手で自らの名をサインした。それは、一人の無軌道な暴力の使徒が、巨大な社会の歯車(システム)の前に完全敗北した瞬間であった。
数ヶ月後。 人類の運命を決定づける魔王城での最終決戦(ハルマゲドン)は、火曜日の午後二時という、太陽が最も高く昇る健康的な時間帯に決行された。
そこに、かつてのような憎悪の連鎖や、泥沼の消耗戦はなかった。 「十七時の定時(デッドライン)までに、この血の宿業を終わらせる!」 完全な休息を得て、瞳に狂暴なまでの生命力を漲らせた勇者と。 「有給明けの我が魔力、とくと味わうがいい!」 同じくベストコンディションで迎え撃つ魔王。
両者は、己の持てる全存在を懸けた破壊のエネルギーを、一切の無駄な会話(ルビ:ロスタイム)を削ぎ落として衝突させた。 そして、午後四時四十五分。 勇者アーサーの放った超絶なる定時退社の一撃(ギガ・スラッシュ)が、魔王の強靭な肉体を両断した。
「見事だ……。これで我も、ようやく無限の安息(エターナル・ホリデー)に就ける……」 血の海に沈む魔王に、アーサーは静かに聖剣を収めて言った。 「お疲れ様でした。直帰します」
午後五時ジャスト。 王都ギルドのオフィスで、ユーリアは定時を知らせる残酷なまでに正確な電子音を聞きながら、書類の山を片付けた。 狂気と暴力に満ちた世界は、こうして冷徹なる労働基準法によって、辛くも救済されたのである。 ユーリアは静かに立ち上がり、夜の闇が迫る王都の街へ、美味しいオムライスを求めて消えていった。
ケース8:横田氏風に
ドガガガガシャァァァンッ!!
王都ギルド・労働環境特別監査局の床が、マグニチュード8の直下型地震に見舞われたかのように激しく揺れた。
「ひええええっ!?」 勇者アーサーは、頭の上から降ってきた高さ二メートルはあろうかという書類の山の下敷きになり、カエルのように手足をバタバタさせた。 「な、なんなんですかァ!? 僕は魔王を倒す勇者ですよ! なんでこんな紙の雪崩に巻き込まれなきゃならないんですか!」
「すっとこどっこい!!」 ズバーン! と大理石の机を叩いて立ち上がったのは、労働監査局の鬼主任、ユーリアである。彼女は分厚いロイド眼鏡をギラリと光らせ、アーサーの鼻先に特大のそろばんを突きつけた。
「魔王討伐だあ!? 寝言は寝てから言いなさい! あんたのパーティから提出された今月の『勇者稼働実績表』を見たわよ! なんだいこりゃ! 深夜二時のゴブリン急襲に対する防衛戦!? 立派な深夜労働じゃないの! なのに、深夜割増賃金の二割五分増しがどこにも計上されてない! 完璧な無給奉仕(サービス・ザンギョウ)じゃないか!」
「だ、だってえええ! ゴブリンどもは『そろそろ定時なんで帰ります』なんて言ってくれないんですよォ! 寝込みを襲われたら戦うしかないじゃないですか!」 「言い訳無用ッ!」 ユーリアはハリセンのごとく丸めた労働基準法典で、勇者の頭をスパーンと叩いた。
「取引先(モンスター)の都合で労働時間が延長したなら、きっちり残業代を払うのが経営者(リーダー)の義務でしょうが! それに、回復役のエリーゼ! 彼女のタイムカードを見たら、月の残業時間が百八十時間を突破してるじゃないの! 人間離れした超絶過労死ラインよ! 彼女のMPを無尽蔵のガマガエルか何かと勘違いしてるんじゃないの!?」
アーサーは「あわわわ」と情けない声を上げ、伝説の聖剣を抱きしめてガタガタ震えた。
「おまけに労働安全衛生法違反! 魔法使いのセリアの装備、あれはなんだい! 『ビキニアーマー』って! 布面積がバンダナ一枚分しかないじゃないの! そんな格好でマイナス三十度の絶対零度ダンジョンを歩かせたら、三分でカチンコチンのアイスキャンデーになっちゃうわよ! 労災どころか完全なセクハラよ、セ・ク・ハ・ラ!」
「ち、違うんです! 伝説の防具屋のオヤジが『これが一番ステータスが上がるんじゃあ〜』って言うから……!」 「アホかァーッ! いますぐユニクロに行って、極暖ヒートテックの上下セットとラクダのモモヒキを買ってきなさい!」
ユーリアの怒声に、アーサーはついに白旗を揚げた。 「わ、わかりました……でも、土日もきっちり休んで定時で上がってたら、いつか魔王軍に王都を火の海にされちゃいますよォ……」
すると、ユーリアは腹を抱えて大爆笑した。 「ギャハハハハ! あんた、情報が古すぎ! 魔王軍がそんなブラックなわけないでしょ!」 「ええええっ!?」
「あっちの組織力舐めんな! 魔王軍の人事部長とは、昨日ランチ食べながら『週末不可侵条約』を結んできたばかりよ! 魔王様なんて、有給消化率百パーセント達成して、魔界商工会議所から表彰されてんだから! 今や魔王軍のモットーは『ノー残業デーの徹底』と『プレミアムフライデーの推進』よ! 金曜の夕方には、魔王も四天王も新橋のガード下で焼き鳥食ってんの!」
アーサーは、パラパラと崩れ落ちる己の常識と共に、完全に意識を失ってズッデーンとぶっ倒れた。
――数ヶ月後。 全宇宙が注目する「大魔王討伐の最終決戦」は、火曜日の午後二時という、とてつもなく健康的な時間帯に行われた。
「午後五時の定時までに絶対に終わらせるぞ! 飲み屋の予約がキャンセルになっちまう!」 勇者アーサーが、きっちり八時間睡眠をとった絶好調の顔で聖剣を振るう! 「ふははは! 望むところだ! 貴様を倒し、我もさっさと帰ってナイター中継を見るのだ!」 魔王もまた、有休明けでツヤツヤの顔をしながら破壊光線を撃ち返してくる!
そこには無駄な長台詞も、ダラダラとした睨み合いもない! 双方とも「早く帰って休みたい」という強烈なモチベーションにより、恐るべき超スピードで戦闘が進行! そして午後四時四十五分! 勇者の放った『定時退社斬り(タイムカード・スラッシュ)』が、見事に魔王の急所を直撃した!
「み、見事だ……! これで我も……永遠の有給休暇(バカンス)に入る権利を……ガクッ」 魔王は満足げな笑みを浮かべ、ドカーンと大爆発した。
「お疲れ様でしたーッ!」 勇者パーティは、きっちりタイムカードを押して帰路についた。
午後五時。王都ギルドのオフィス。 ユーリアは「本日の業務終了」のチャイムと共に、引き出しからドデカイおにぎりを取り出してガブリと噛みついた。 「やっぱり、仕事のあとのメシは美味いわねえ!」
世界は今日も、ハチャメチャに正しい労働基準法によって、平和に守られているのであった。ドン・ト・ハレ!
ケース9:村上氏風に
10月の中旬の火曜日。午後二時十五分。 私は王都ギルド労働監査局の自分のデスクで、スタン・ゲッツの古いレコードを聴きながら、ペーパードリップでゆっくりと淹れた深煎りのコーヒーを飲んでいた。
そこに勇者アーサーがやってきた。彼は伝説の聖剣を持っていたが、今の彼が抱えていると、それはどこかひどく出来の悪い雨傘のように見えた。 「やれやれ」と私は小さく息を吐き、机の上に分厚い監査ファイルを置いた。
「君のパーティの労働環境は、控えめに言っても、ひどく歪んでいる」と私はアーサーに向かって言った。 アーサーは困惑したように金髪を掻きむしった。 「でも、ゴブリンたちは深夜の二時に僕たちの野営地を襲撃してくるんです。彼らは定時という概念を持ち合わせていない」
「だからといって、深夜労働の割増賃金――二割五分の追加報酬――を支払わなくていい理由にはならない」と私は静かに指摘した。「世界を救うという行為は、往々にして個人的な犠牲を伴うものだ。しかし、それはシステムとしての搾取を正当化するものではないんだ」
アーサーは何も言わず、ただじっと自分の膝のあたりを見つめていた。
「それに、ヒーラーのエリーゼだ。彼女の先月の残業時間は百八十時間を超えている。人間の魂というものは、それほど長く理不尽な重圧に耐えられるようには設計されていない。彼女がいつか、暗く深い井戸の底に落ちてしまったら、君はどうするつもりだい?」 「僕には、彼女が必要なんです」 「誰だって誰かを必要としている。でも、だからといって他人をすり減らしていいわけじゃない」
私はコーヒーを一口飲んでから、次のページを開いた。 「魔法使いのセリアの装備についても言及しておく必要がある」と私は言った。「ビキニアーマー。布の面積が絶望的に足りていない。極寒の雪山でそんなものを着せるのは、正気の沙汰じゃない。それは明らかなハラスメントであり、悲劇的な体温低下を招く」
「伝説の防具屋が、それが一番ステータスが上がると言ったんです」と彼は抗弁した。 「世界には、決して信じてはいけない種類のオヤジが何人かいるんだよ」と私は言った。「直ちに、ユニクロかどこかで厚手のダウンコートを買って支給することだ」
私は彼に、完全週休二日制の導入と、適切な防寒着の支給を求めた是正勧告書を差し出した。 「土日を休みにしたら、僕たちが休んでいる間に、魔王軍が攻めてくるかもしれない」とアーサーは不安そうに言った。
「その点については心配いらない」と私は首を振った。「魔王軍の人事部とは、すでに話がついている。週末不可侵条約だ」 「魔王軍に人事部があるんですか?」 「あるよ。彼らは驚くほど官僚的で、そして合理的なんだ。魔王は先月、有給休暇の完全消化を達成して、魔界の優良企業として表彰されたばかりだ。金曜の夜には、彼らだって冷えた黒ビールを飲んで、静かなベッドでゆっくりと眠りたいんだ」
アーサーは深い諦めを含んだため息をつき、安物のボールペンで書類にサインをした。
それから数ヶ月後。 魔王と勇者の最終決戦は、火曜日の午後二時という、ひどく中途半端だが、平和で妥当な時間帯に行われた。
双方とも「十七時の定時までにこの無意味な闘争を終わらせ、早く家に帰ってパスタでも茹でよう」という、静かで確固たる意志を共有していた。 不毛な長台詞も、芝居がかった絶望の叫びもなく、ただ正確で効率的な物理攻撃と魔法の応酬だけが、古い時計の振り子のように規則正しく続いた。
そして午後四時四十五分。勇者の剣が、魔王の急所を静かに貫いた。 「これでようやく、終わりのない休暇に入れるというわけだ」と魔王は微かな微笑みと共に言い残し、春の雪のように世界から溶けて消滅した。
午後五時。 私は定時のチャイムと共にパソコンの電源を落とした。 世界は救われ、労働環境は適正に保たれた。
家に帰ったら、玉ねぎとマッシュルームを細かく刻んで、シンプルなプレーン・オムレツを作ろう。そして、キャンティ・クラシコのボトルを開け、アル・グリーンのレコードに針を落とすのだ。 世界がこれからどのような形に変わっていこうと、私たちの個人的でささやかな生活は、そうやって確かなリズムと共に続いていく。
ケース10:有吉風に
「いやさ、最近の勇者ってホント可哀想だなと思って。
こないだギルドの労働監査局の奴から聞いたんだけどさ、勇者アーサーのパーティ、完全なブラック企業なんだって。 夜中の2時に野営地でゴブリンに襲われて、寝間着で叩き起こされて戦ってるのに、深夜割増賃金ゼロだよ? 完全にサビ残じゃん。お前らコンビニの夜勤より酷い環境で世界救ってんのな。バカじゃないの?って思うよ。
でさ、パーティに僧侶のエリーゼちゃんって子がいるんだけど、この子の月の残業時間が180時間超えてるんだって。いやいや、過労死ライン余裕でぶっちぎってんじゃん。もう彼女にホイミかけさせる前に、お前らが彼女に栄養ドリンクとマッサージ与えろよって話でしょ。そのうち『もう誰も癒やしたくない……』とか言って飛ぶぞ、絶対。
でもね、俺が一番腹立ったのは、魔法使いのセリアちゃんね。 極寒の雪山ダンジョンに行くのに、あの子の装備『ビキニアーマー』なのよ。布の面積、俺の持ってるハンカチより小せえんだよ。 監査官が『完全なセクハラでしょ!』って怒ったら、勇者のバカが『伝説の防具屋のオヤジが、これが一番ステータス上がるって言ったんですぅ〜』とか言い訳してんの。 いや、お前、それただのエロジジイの趣味だろ! 『ステータスが上がる』じゃねえよ、ただ体温が下がるだけだから! さっさとワークマン行って極暖のダウン買ってこいっての。マジで訴えられるぞ。
で、監査官が『これからは土日きっちり休んで、定時で上がれ』って勧告したらしいんだけどさ。勇者が『そんなことしたら、休んでる間に魔王が攻めてきますよ!』って泣きついたのよ。 そしたら監査官が何て言ったと思う?
『大丈夫。魔王軍の人事部と、すでに週末不可侵条約結んできたから』だって。
……魔王軍、めちゃめちゃホワイト企業じゃねえか! 魔界商工会議所から『有休消化率100%』で表彰されてんだってさ。魔王、超いい社長じゃん! 俺なら勇者なんか即日バックくれて、魔王軍に履歴書送るね。福利厚生しっかりしてそうだし、ボーナスもちゃんと出そうじゃん。
結局さ、最後の魔王との決戦も、火曜の昼の2時っていう超中途半端な時間帯にやったらしいよ。 お互い『17時の定時までに絶対終わらせるぞ!』って謎の連帯感で結ばれてて、無駄な長台詞とか一切なし。超スピードで斬り合って、4時45分に魔王倒して、5時ジャストにタイムカード押して帰ったんだって。公務員か!
まあでも、それでいいんだよな。 無理して身を削って世界救うよりさ、飯食ってちゃんと寝るのが一番大事よ。お前らもビキニアーマーとか着て風邪ひくなよな!」
ケース11:マツコ風に
ちょっと聞いた? アタシ、最近の「勇者」ってホントに同情しちゃうっていうか、もう呆れて物も言えないんだけど。
魔王討伐? 世界の平和? あのね、そんな大層な大義名分を掲げておきながら、内情を聞いたらやってることはただのドス黒いブラック企業じゃないのよ。深夜の2時にゴブリンに襲撃されてパジャマのまま戦ってんのに、深夜割増手当ゼロってどういうことよ? サビ残もいいとこよ。王都の労働基準監督署、もっと早く動けっつーのよ。
でね、一番可哀想なのが回復役のエリーゼちゃんよ。月の残業時間が180時間超えって、アンタそれ過労死ラインをスキップで越えてるわよ。ホイミかける前に、まず自分の腕に点滴打ちに行きなさいよ! 勇者のボンクラもさ、「回復は彼女にしかできないから……」とか言ってるらしいけど、出たわね! 「やりがい搾取」の典型的なセリフ! そのうち魔王より先にエリーゼちゃんがブチ切れて、アンタたち寝首を掻かれるわよ。
でも、アタシが一番許せないのが、魔法使いのセリアちゃんの装備よ。 極寒の雪山ダンジョンに行くっていうのに、「ビキニアーマー」ってバカじゃないの!? 布の面積、アタシが使ってるグラスのコースターより小さいわよ! 監査官にセクハラだって怒られた勇者が、「伝説の防具屋のオヤジが、これが一番ステータス上がるって言ったんですぅ」なんて抜かしたらしいけど……あのね、ステータス上がる前にアンタの社会的信用が下がるわよ! そんなのただのエロ親父の趣味じゃないのよ! さっさとモンベルでも行ってダウンコート買って着せなさいよ! 凍死するわよ!
それでね、監査局から「土日は休んで定時で上がれ」って怒られた勇者が、「休んでる間に魔王軍が攻めてきたらどうするんですか!」って泣きついたら、監査官がなんて言ったと思う?
「魔王軍の人事部と、すでに週末不可侵条約結んできたから大丈夫」ですって。
……ちょっと、魔王軍、アタシたちよりよっぽどちゃんとしてるじゃないの! なんでも有給消化率100%達成して、魔界優良企業認定の三ツ星をもらってるんですって。魔王様、どんだけホワイトな経営してんのよ。アタシ、もう王都なんか見限って魔王軍に転職したいわよ。週休二日で福利厚生もしっかりしてそうだし、絶対あっちのほうが働きやすいわよ。
結局ね、最後の魔王との決戦も、火曜の午後2時っていう、銀行の窓口くらい平和で健康的な時間帯にやったらしいわよ。 両方とも「17時の定時までに絶対終わらせて、早く帰って冷えたビール飲むわよ!」っていう謎の連帯感で結ばれてて、無駄な長口上とか一切なしよ。午後4時45分にサクッと魔王を倒して、5時ピタでタイムカード押して帰ったんだって。
ホント、世界を救うのも立派だけどさ、人間、ちゃんと寝て、ちゃんと温かいもの食べて、定時で帰るのが一番の幸せなのよ。ビキニアーマーで雪山登らせるようなブラック勇者には、絶対ついて行っちゃダメよ、アンタたち。
(終)

